洋裁歴46年!ジャマイカ人テーラーのユリさん

ジャマイカと日本が「リンクする」ことを目指して立ち上がった「NPO法人LINK UP JAJA」。

CHAKA CHAKAはそのNPO法人リンコップジャジャの事業として、ジャマイカの職人さんたちとの出会いを大切に、公平に取引し、持続可能なビジネスモデルを目指して展開していきます。

ジャジャ立ち上げ企画として、日本でプロデュースした布をジャマイカに持って行き、ジャマイカの仕立て屋さんに作ってもらったのが「JAMALOHA」(ジャマロハ)です。

日本の浮世絵を思わせる波とジャマイカのシンボルとも言えるラスタカラーが、まさに日本とジャマイカをLINK UPした製品となりました!

▲JAMALOHA

JAMALOHAを仕立ててくれたのは、ジャマイカの首都Kingstonに隣接するSt. Andrew県に暮らすUley(ユリ)さん。洋裁歴46年のベテランで、奥さんと娘、孫2人の4人で暮らしています。

灼熱のKingstonとは打って変わってユリさんが暮らす地域は標高が高いため、朝晩は涼しく快適です。緑豊かな自然の中にユリさんの家はあります。

▲ユリさんの家の二階からの眺め。バナナやマンゴー、里芋や豆など、様々な作物が植えてある。

JAMALOHA製作過程では、様々なチャレンジもありました。ユリはジーパン作りが得意で、ジーパンや洋服を仕立てる際は顧客の寸法を測ってカスタムメイドすることが基本です。しかし今回は、まったく同じものを何枚も作って欲しいという、彼にとっては初めての依頼となりました。

コロナウイルス感染拡大の影響で帰国するまでジャマイカで活動していたNPO法人LINKUPJAJAの理事であるIoriが布をプロデュースし、同じくジャマイカで活動していた協力隊員がパターンやサンプル作りに協力してくれたのですが、ユリにとってはパターンを使うというのはほとんど初めてのことでした。

初めは10センチ以上の誤差が出るなどしたため、指示書を一緒に読み込み、パターンを使う意味を確認し、同時に日本のスタンダード「とにかく日本人は完成度にこだわる」ということを理解してもらいました。

            「そういうことなら分かった。これからはパターンを使おう。縫い目もなるべく完璧に近づける。ボスはそっちなんだから、私は雇い主を満足させることに努めようではないか!」

と半分冗談で、しかしすごく真剣にこちらの意向を飲み込み、同じものを何枚も作るという作業をこなしてくれるようになりました。彼の優れた柔軟性と対応力に正直驚きました。

30年もののミシン。「29歳になる娘のタンデカより年寄りのミシンだ」とユリ。



50代半ばのユリ。強靭な肉体を持ちながらも老いを実感することはあるようで、ミシンを使う際は老眼用眼鏡が必須だとか。

彼との出会いはおよそ5年前。実はユリさんは、わたしのジャマイカの母「リサ」の養子の息子なのです。うーん、ややこしい!

リサとの出会いは私が18歳でジャマイカに留学していた時のことでした。高校卒業後すぐにジャマイカに飛び、首都Kingstonの語学学校で英語を学んでいました。その英語コースの最終過程の先生がリサでした。アメリカ人ですが、イギリスとジャマイカのハーフの旦那さんと共にジャマイカに移住して50年になります。

            そのリサの一番初めの養子がユリなのです。実はリサは自分の子供3人に加えて、ジャマイカ人の養子を累計7人も育て上げています。リサと旦那さんのアンドリューについては、また別でご紹介したいと思います。ユリの幼少時代やテーラーになるまでの道のり、現在の家族を持つまでの人生など、ユリに直接語ってもらうため二度目ののインタビューを行いました。

第二弾へ続く。

JAM-ALOHA -made in Jamaica-

2020年、ジャマイカと日本が「リンクする」ことを目指して立ち上がった「NPO法人LINK UP JAJA」。

CHAKA CHAKAはその「NPO法人リンコップジャジャ」(以下「ジャジャ」)の事業として、ジャマイカの職人さんたちとの出会いを大切に、公平に取引し、持続可能なビジネスモデルを目指して展開します。

ジャジャ立ち上げ企画として、日本でデザインした布をジャマイカに持って行き、ジャマイカの仕立て屋さんに作ってもらった「JAMALOHA」。アロハシャツみたいだけれど、メイド・イン・ジャマイカなので「ジャマロハ」です。日本の浮世絵を思わせる「波」とジャマイカのシンボルとも言える赤×黄×緑の「ラスタカラー」が、まさに日本とジャマイカをLINK UPした製品となりました!

今回の商品をプロデュースしてくれたジャジャの理事を務めるデザイナーのIoriは、コロナウイルスの影響で緊急帰国する2020年3月まで、ジャマイカで青年海外協力隊員としてボランティア事業に従事していました。ジャマイカに派遣される以前から日本の伝統文化を題材として商品作りをしていた伊織の得意分野と、1年間過ごしたジャマイカで得たインスピレーションが融合し、まさに日本文化とジャマイカ文化が「リンクした」製品が生まれました。

▲JAMALOHAオープンカラー
▲JAMALOHAスタンドカラー

JAMALOHAを仕立ててくれたのは、ジャマイカの首都キングストンに隣接するセント・アンドリュー県に暮らす愛称「Uley(ユリ)」として親しまれるヒューバート・ピントさん。洋裁歴30年のベテランで、奥さんと娘、孫2人の4人で暮らしています。

▲愛称「ユリ」として親しまれるヒューバート・ピントさん。

灼熱の「コンクリート・ジャングル」であるキングストンとは打って変わって、ユリさんが暮らす「メリーランド」と呼ばれる地域は標高が高いため、朝晩は涼しく快適です。でこぼこ道を上った山の中腹、高級「ブルーマウンテンコーヒー」で知られるブルーマウンテンの裾の、緑豊かな大自然の中にユリさんの家はあります。

▲→で示しているあたりがMaryland(メリーランド)。ジャマイカはカリブ海に浮かぶ島で、お隣はキューバ、ハイチなど。
▲ユリさんの家の二階からの眺め。

メリーランド(Maryland)は、実はジャマイカでもあまり知られていません。ジャマイカ人にさえ「メリーランドって、イギリスの?」と聞かれます。ジャマイカは独立前はスペイン、そしてイギリスの植民地だったため、元宗主国の地名が多く見られます。

▲山間部に位置するMarylandの一番上、Top Marylandにあるバー兼クラブ。
▲「パトワの母」ミス・ルーの壁画。

写真は、メリーランドの広場にある「パトワの母」ミス・ルーことルイーズ・ボネットの壁画です。ジャマイカ人は壁画が大好きで、いたるところに大物レゲエ歌手や歴史的人物の肖像画が見られます。最近は「世界最速の男」ウサイン・ボルトの肖像画もよく見ます。

▲Marylandの乗り合いタクシーの運ちゃんたちと。

下町のパピンから、乗り合いタクシーで20分ほど山道を登ったところにメリーランドはあります。料金は片道100ジャマイカドル(70円くらい)。

Marylandに住む女の子たち、おそらく中学生くらいの年齢です。ジャマイカ人はとにかくファッションが大好きで、若い時からお洒落しています。

緑豊かなメリーランドで製作されたJAMALOHA製作過程では、様々なチャレンジもありました。ユリさんはジーパン作りが得意で、ジーパンや洋服を仕立てる際は顧客の寸法を測ってカスタムメイドすることが基本です。しかし今回は商品製作依頼という、彼にとっては極めて異例な依頼となりました。

布をデザインしたIoriと同時期にジャマイカで活動していた青年海外協力隊員※が、服飾のスキルを活かして商品のパターンやサンプル作りに協力してくれたのですが、パターンを使って全く同じ製品を何枚も作るのは、ユリさんにとっては不慣れな作業でした。

(※2021年4月現在、ジャマイカでの青年海外協力隊事業はコロナウイルスの影響でストップしている。再開時期不明。)

▲作業する時いつもメジャーを首にかけるユリさん

そのため、JAMALOHAプロジェクトに取り掛かってすぐの頃は、個体差10センチ以上の誤差が出るなどしましたが、これは想定内のことでした。現地で活動していた理事長も服飾経験がないため、日本にいるチームに助言を仰ぎながら、ユリさんと一緒に指示書を読み込み、パターンを使う意味を確認し、日本のスタンダードに近づくよう努めました。

            その結果、「分かった。これからはパターンを使おう。縫い目もなるべく完璧に近づける。ボスはそっちなんだから、私は雇い主を満足させることに努めようではないか!」と半分冗談で、しかしすごく真剣にこちらの意向を飲み込んでくれたユリさん。試行を重ね、彼はついにサンプル商品と全く同じサンプルを作ることを達成したのです。

彼の優れた柔軟性と対応力は、予想以上のものでした。私が驚くと、ユリさんは「数十年前、首都キングストンの港に『フリーゾーン』と呼ばれる免税の工場地帯があったんだ。私はそこでアメリカの会社が巨大な服飾工場を所有していた頃、その工場で働き、一日に何百枚という洋服を縫っていた経験だってあるんだよ。プロフェッショナルが何であるかは、ちゃんと知ってるんだ。」と誇らしげにご自分のスキルや経験について語ってくれました。

ジャマイカの当時のフリーゾーンについては、ドキュメンタリー映画「Life and Debt –失われた真実‐」で詳しく語られています。すごく勉強になる映画で、オススメです!

ユリさんが使うのは、30年物のミシンです。「29歳になる娘のタンデカより年寄りのミシンだ」とユリさん。

50代半ばのユリさん。強靭な肉体を持ちながらも老いを実感することはあるようで、ミシンを使う際は老眼鏡が必須だとか。目が真っ赤になるまでミシンに向かってくれたユリさんに感謝です!

【Blog記事 JAMALOHA②】に続く