過酷な幼少時代を乗り越えたジャマイカ人テーラー「ユリ」との繋がり

ユリさんとの出会いはおよそ5年前。人との出会いが何重にも重なって生まれた、NPO法人LINK UP JAJAとユリさんとのめぐり逢い。

ここからは、筆者とユリさんとの出会いや、過酷な幼少時代を生き抜き人生を切り開いたユリさんのヒストリー、NPO法人LINK UP JAJAの今後のビジョンなどについてご紹介したいと思います。(以下敬称略)

  <目次>

1、ユリとジャジャを巡り合わせた「リサ」という人

いつも写真を撮る側のリサ。iPadはアメリカに住む息子からの贈り物。

「リサ」と初めて出会った筆者は、当時18歳。高校卒業後ジャマイカに語学留学し、20歳直前まで過ごした筆者に、最終学期マンツーマンで教えてくれた英語の先生がリサでした。リサはアメリカ人ですが、イギリスとジャマイカのハーフである夫アンドリューと共にジャマイカに移住して、もう50年になります。

リサ、アンドリューのゴードン夫妻。とても70歳には見えない!

リサは英語の教師ですが、筆者が彼女から学んだのは語学だけではありません。彼女の授業では教材がそのまま使われる時間はごくわずかで、価値観人生観社会問題など、実に様々なことがトピックにされます。

「外国人としての自分がジャマイカとどう向き合うか」という課題について、筆者がリサから受けた影響は大きく、筆者は彼女を「ジャマイカの母」と呼んでいます。彼女もまた筆者を「娘」と呼び、血縁を超えた「家族」になっています。

2017年ゴードン夫妻宅にホームステイ中の筆者とリサ

実は、リサとアンドリューのゴードン夫妻は、2人の間に恵まれた3人の息子の他に、たくさんの養子を迎えています。養子は皆、彼らが暮らす地域出身の子供たちで、その一番初めの養子がユリなのです。

「子供たち」と言っても最後の養子は現在20代で、立派な青年になっています。村の人たちがゴードン夫妻に親しみ、尊敬の念を持って接している様子を見ると、半世紀前にジャマイカに移り住んだゴードン夫妻と地域との関わりの深さが見て取れるようです。

一番下の養子アントニーは現在自分の家を建設中。すごい!

ゴードン夫妻宅から徒歩10分くらいのところに家を構えるユリは、今でも彼らを頻繁に訪れます。

筆者がゴードン夫妻宅にホームステイした2017年に、筆者とユリは初めて出会いました。私たちはすぐに打ち解け、彼の自宅に下宿させてもらうことが決まり、4か月間ユリの家族「ピント(Pinto)一家」と共に過ごしました。

それ以来、筆者とピント一家はファミリーになったのです。つまり、ゴードン一家(リサ)、ピント一家(ユリ)、日本からやって来た筆者は、ひとつの大きな家族One Big Fambily(ワンビッグファンビリ※)になったというわけです。

※Fambilyとはジャマイカの言葉でFamily:家族

2、ユリとゴードン夫妻との出会い

大自然に囲まれるゴードン夫妻の自宅

当時20代だったゴードン夫妻がいつもストリートで見かけていた当時9歳のユリが、あまり家庭環境に恵まれない子供であることは明らかでした。いつも家にやって来るユリをいつしか家族のように迎え、食事を与え、学校に通わせたゴードン夫妻。

夫のアンドリューが仕事で町に下りていく時、彼のトラックの荷台には地域の子供がいっぱい乗っていて、風物詩のようでもありました。現在アンドリューは勤めていた会社を引退し、農業を営んでいます。

父を知らない子供はジャマイカにたくさんいますが、ユリもその一人でした。3歳の頃母親を亡くしたユリに、実の両親の記憶はほとんどありません。多くの時間をストリートで過ごしていたユリにとって、ゴードン夫妻は行き場のない自分を助けてくれた人生の恩人です。

彼はインタビューの中で「リサとアンドリューに、自分を拾い上げてくれてありがとうと言いたい」と深い感謝の念を述べています。「リサとアンドリューに学校に通わせてもらうようになって、文字の読み書きが出来るようになった。読み書きが出来るようになるというのは、人にとってこれほど喜ばしい達成はない。」と語るユリ。

学ぶことの尊さを、学びたくても学べなかった人が語ることで、その重みがひしと伝わってきます。

ゴードン夫妻の一番下の実の息子アリエルとアンドリュー。
アリエルは筆者と同い年で、お互いを兄妹と呼んでいる。

時としてジャマイカでは、地域の人たちと人間関係を築く過程で、貧困をはじめとする様々な社会問題に向き合わざるをえない状況があります。どうアクションするかは自分の価値観やポリシーに従う他ありません。

幼いユリも私と同じように、ゴードン夫妻の価値観や生き方に多大な影響を受けたのではないでしょうか。「家庭環境に恵まれなかった自分がどうやって生き抜いていくか」という課題に対して、ユリが導き出した答えは「一刻も早く経済的に自立すること」でした。

彼がインタビューで語ってくれた「16歳の時アンドリューに買い与えられた自転車を売り、そのお金でミシンを買ってテーラーになると決断し、実際に起業した」というエピソードが、そのことを証明しているような気がします。

リサ宅に集まり、家族みんなで夕食を食べた日。ユリはリサが作るご飯が大好き!

3、ユリの家族を通して考えさせられる「しあわせ」とは

おしどり夫婦のピント夫妻

ユリはインタビューの中で「私の妻ほど素晴らしい女性を、他に見つけることはできないだろう」と語っています。ユリの妻クリスティーンは、敬虔なクリスチャンで慈悲深い人であるばかりではなく、強い精神力の持ち主です。

彼女がこれまで並々ならぬ実行力で一家を支えてきたことについて、ユリはインタビュー中に「彼女は、なんでそんなことが出来るのか分からないけれどそれをやってのける、すごい人なんだ」と語っています。まさに縁の下の力持ちで、ユリもその働きを「一家の大黒柱」として賞賛しています。

現在ユリは妻、娘、孫2人の5人で暮らしています。ブルーマウンテンに位置するメリーランドの豊かな土地で、野菜や果物を育てながら、テーラーの仕事や運送業、小売業など、やれることは何でもやって家計を支えています。シングルマザーの娘の幼い息子たちが立てる騒音に悩まされながらも、おじいちゃんのユリはとっても幸せそうに見えます。

筆者が「甥っ子」と呼ぶユリの孫たち

物価に比べて賃金が低いジャマイカで、時に資金繰りに苦労しながらも、目の前の食事に、眠るベッドに、命あることに感謝するジャマイカの人たちを見ていると「しあわせって何だろう?」という根本的な問いが湧いてきます。

特にこのコロナ渦で日本の自殺者が増えているというニュースを観ると、ジャマイカよりもはるかに社会保障が充実しているはずの日本で、どうしてたくさんの人が自ら命を絶ってしまうのか、日本の「生きづらさ」について考えずにはいられません。

一方で、格差社会のジャマイカでは「お金があるということは、選択肢があるということ」と実感する場面が多くあります。また、貧困が教育機会を奪い、教育機会を奪われた人が貧困に陥り、犯罪率の高さに繋がる悪循環は、ここジャマイカでも深刻な問題となって長年居座っています。

この点について、ユリもインタビュー中に「ジャマイカは産業の発展にもっと力を入れるべきだ」と大変熱く語っておられます。

インタビューはユリの自宅の庭で行われた

4、ジャマイカの人たちとつながってサステナブルな取り組みを

出典:国連広報センター
言うが易し。自分が取り組めることは何だろう・・・

2015年9月の国連サミットで採択された、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標SDGsは 「Sustainable Development Goals」の略称ですが、ここでもやはり「持続可能な開発目標」ということが掲げられています。

先進国が一方的に開発途上国を「支援」しても、被支援国が発展を遂げられなかった苦い経験から、この「持続可能(サステナブル)」という概念が生まれました。お金がある国や組織が、ない国や組織に一方的に与えるだけでは、支援される側に依存体制が出来てしまいます。支援者が去った後、被支援者が独り立ちできる仕組みを目指すべきで、それが「持続可能」な支援のあり方です。

日本のテレビで、ある女優さんがアフリカの水が無い地域に飲み水製造機を届けに行くという番組を観たことがあります。あのプラスチック製飲み水製造機は果たして住民に維持・管理が出来るのか、修理に必要な材料は現地調達可能なのか、その部分について語られることはありませんでした。

NPO法人LINK UP JAJAのモットーは「サステナブルな取り組み」です。ジャマイカの人たちと繋がり、共に育ち、双方にメリットが生まれる仕組みを模索し、また日本の皆さんに「自分も仲間に加わりたい!」と思って頂けるムーブメントを巻き起こすため、活動を広げ、深めていきたいと考えています。NPOの正会員、賛助会員も大募集しております!

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