ジャマイカの障害福祉事情②

ジャマイカの障害児教育

Edgehill School of Special Educationでリサイクル工作をした時の写真

20年ほど前からジャマイカには繰り返し来ていますが、滞在中もやはり現地の障害福祉事情が気になります。そのため、重度の心身障害者が入所する孤児院でボランティアをしたり、スペシャルスクールと呼ばれる知的障害を持つ児童が通う特別支援学校に通ったりしました。

私が通っていたスペシャルスクールEdgehill School of Special Educationは、現在の私の活動拠点、ジャマイカ北海岸に面するSt. Ann県に位置し、ジャマイカ知的障害者協会「JAID」 (Jamaica Association on Intellectual Disabilities)によって運営されています。JAIDはジャマイカ国内に5つの特別支援学校を持ち、首都キングストンの敷地内には卒業生らがアクセサリーを制作する作業所や、ユニフォームなどを縫製する工場が併設されています。私が知る限り、知的障害者が働く唯一の福祉作業所です。スペシャルスクールにはたくさんの知的障害児がいますが、自立度の高い学生が多い印象で、「トイレや食事が自力で出来ない子供は、やはり家にいるか施設に入るしかないのかな」と感じました。

私が関わっていたスペシャルスクールの教員は大変熱心な人が多く、生徒ひとりひとりの能力に合わせて指導し、学業だけではなく生きるスキルを身に着けてもらおうと頑張っていました。ジャマイカの普通学級の授業は一方通行であることが多く、教師が書いた黒板の内容を生徒がノートにそのまま写しているだけで、実際はほとんど内容を理解していないのでは…と思うことがよくあります。ところが、スペシャルスクールの教員は生徒の能力を把握し、個人のレベルにあった指導をしていたので驚きました。

しかし、せっかく教員が一生懸命生徒を指導しても、知的障害を持つ卒業生の受け皿がジャマイカの社会にはほとんど用意されていません。「卒業後、彼らはどこに行くのですか?」と先生に質問すると、「生徒は在学中にたくさんの事を学び、コミュニケーションスキルや自立度が向上します。しかし学校を卒業したら、彼らには行く場所がない。家に引きこもるしかなくて、精神のバランスを崩す生徒も少なくありません。本当に悲しいことです」と話しました。聴覚障害者が学ぶろう学の副校長先生も同じことを話し、やはり悲しい顔をしていました。先生たちの悲しみが自分にシンクロして胸が痛み、行き場のない卒業生たちの苦しさを想像し、「この状況を変えなくてはいけない」とその時思った気持ちが、その後設立するNPO法人LINK UP JAJAが行う「障害者の居場所づくり事業」の原点であると言っても過言ではありません。



ジャマイカの入所施設(孤児院)

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2017年 Mustard Seed Communityのワーカーたちと

2017年に半年間、Mustard Seed Communityというキリスト教会が運営する障害孤児院でボランティアをしました。「ジャマイカの障害者がどのように暮らしているか見てみたい」という思いから、ほぼ飛び込みでボランティアに入り、施設の職員に混ざって入所者の入浴や排せつ、食事の介護、レクリエーションのお手伝いをしていました。

自己決定で自立生活を送っている障害者は昔からたくさん周りにいましたが、逆に入所施設がどういうものかは全く知らずにいました。ジャマイカに来て入所施設の中に初めて入り、入所者がどのような暮らしをしているかを知ることで、日本の障害当事者がなぜ脱施設を訴えるのかがより深く理解できたように思います。

残念ながら、Mustard Seed Communityの入所者には自己決定の機会がほとんどありませんでした。外出の機会も通院や通学以外はほとんど無いようでした。しかしそこには「脱施設!」と障害当事者が訴える先進国とは大きく違う、厳しい状況がありました。

施設に暮らす入所者には、施設が彼らを受けれていなければ、路上生活を送るどころか命が繋がらなかったかもしれない子供や大人が多くいます。ジャマイカには生活保護も障害基礎年金もありません。私が施設で出会った子供たちはほとんどが親に養育拒否された子供たちなので、誰かが善意で保護しないと生きていけないのです。Mustard Seed Communityは孤児院のため、本来は18歳までしか受け入れないのですが、19歳になったからといって重度の障害者を放り出しだら死んでしまいます。だから実質は、施設は利用者を一生涯養護します。

口からの食事が難しく胃ろうで栄養を取る入所者もいますが、そのような医療的ケアを受けることはジャマイカではとても珍しいことです。重度の脳性麻痺できつい緊張を持つ子供の食事介助をしている時、ペースト食を口に入れてあげても何度も吐き出してしまい、その子がむせる度に背中を叩いたり体位を変えたりしている時、「この施設がなかったらこの子は死んでいただろうな」と思いました。貧しい人ほど情報へのアクセスも少ないため、重度障害児を生んだ母親がどうしていいか分からず途方に暮れ、死なせるわけにはいかないから孤児院に子供を引き取ってもらうというのは、ふつうに理解できます。子を捨てた親を一概に責められない苦しい現実があるのです。

Home | Mustard Seed Communities

出典:Mustard Seed Community

https://www.mustardseed.com/

Mustard Seed Communityは、キリスト教会がアメリカから調達する寄付金をもとにジャマイカに施設を建設し、無償で行き場の無い重度心身障害児者や身体・知的障害児者、HIV保持の若いお母さんとその赤ちゃんなどを受け入れ、今では秋田県ほどの小さい国土のジャマイカに13の施設を持っています。施設が拡大するのは、生きづらさを抱える人が地域で暮らせない現実があるからです。

施設の運営側が一生懸命やっているのは承知なので、自分がおこがましいと思いながらも、人権に配慮した介護方法を取り入れらないか管理職に掛け合ったり、貧しい介護職員へのランチの無償提供などを提案したりしましたが、なかなか難しいようでした。施設という形態が持つ限界や、慢性的な資金不足がもたらす現実があるのでしょう。

Mustard Seed Communityが「どんなに重い障害を持った子供でも受け入れを拒否しない」という理念のもと、社会から見放された障害児者の命を繋いでいることは、とても尊いことです。彼らは日本からやってきた飛び込みのボランティアを温かく受け入れてくれ、「困ったことがあればいつでも私たちを頼って」と気に掛けてくれます。コロナ以後、部外者が施設内に入ることができなくなりましたが、柵越しに入所者の顔を見に行くことで交流を続けています。

Video: Bolt encourages support for Mustard Seed Communities | Loop Jamaica

出典:Loop Jamaica 

https://jamaica.loopnews.com/content/video-bolt-encourages-support-mustard-seed-communities?jwsource=cl

ジャマイカの障害福祉事情①

障害者解放運動とレゲエ

私の母親はシングルマザーで、障害当事者でもあります。幼い私は障害者運動に携わる母にあちこち連れられ、様々な障害を持つ人たちに囲まれて育ちました。

私が生まれた1980年代、日本の障害福祉はまだまだ整っておらず、重度障害者が脱施設・脱保護を訴え、障害者の自立支援制度確立のために激しく闘っていました。食事や排せつの介助が必要なほど重度の障害を持つ人たちが実家や施設から抜け出し、文字通り命がけで自立生活を始め、学生をはじめとする支援者たちがそれを支えました。軽度の身体障害を持つ私の母親は、障害当事者でありながら、障害者解放運動を下支えする裏方のような役割で、休む間もなく働いていたのを覚えています。

日本の障害者運動の歴史で必ず語られる「青い芝の会」は、一部の人たちから過激派と思われるほど激しく活動していました。その強烈さが社会の注目を集め、国会議員の注意を引き、行政が障害当事者と交渉の場を持つようになり、少しずつ制度を確立させていきました。根強く残る差別の撤廃を目指し、インクルーシブな社会を実現するため、身体・知的・精神障害当事者のグループが今も各地で活動しています。旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された被害者が国に賠償を求めた裁判が現在も続いているように、障害者の権利保障を求める闘いが終わることはありません。

障害者をバスに乗せろ!」 乗車拒否貫くバス会社と対峙、バリアフリー化の礎を作った「川崎バス闘争」とは何か | Merkmal(メルクマール)

出典:「障害者をバスに乗せろ!」 乗車拒否貫くバス会社と対峙、バリアフリー化の礎を作った「川崎バス闘争」とは何か 2022.7.1 昼間たかし(ルポライター) 

https://merkmal-biz.jp/post/14345

そのようなムーブメントの中で育った自分がレゲエに出会い、ジャマイカに導かれたことは、不思議なようで当然な流れだったようにも思います。私の学生時代、コロンブスがジャマイカを発見し、スペインの入植者たちが原住民を死滅させ、それに代わる労働力として奴隷船で連れて来られたアフリカ人が現在のジャマイカ人の祖先であることは、学校の授業では教えられませんでした。コロンブスの「大航海時代」が何年にあったか覚えさせられたくらいで、その背景にあった侵略と略奪の歴史について触れられることはなかったと記憶しています。10代の私は、レゲエを通してジャマイカが歩んできた苦の歴史を初めて知り、ショックを受けました。同時に、レゲエミュージシャンたちが放つ「奪われた尊厳を取り戻そう!」というメッセージは、私が幼少の頃から垣間見てきた日本の障害者解放運動のスピリットと重なり、ごく自然に、深く、自分の胸に届きました。

Why Bob Marley’s songs are still important to the world (and always will be)

出典:Why Bob Marley’s songs are still important to the world (and always will be) By Sanjana Ray 

https://yourstory.com/2017/02/legacy-of-bob-marley




日本で出稼ぎ生活

2019年にJICAボランティアとして派遣され間もない頃

私は2017年頃から生活拠点を日本とジャマイカに半分ずつ持つような生活を送っており、帰国時には大阪市内で介護ヘルパーとして働いています。資金を貯めてジャマイカに渡り、それが尽きると帰国して働き、金を貯めてジャマイカに戻るというサイクルを繰り返していました。日本に戻るのは帰国というよりも、自分的には出稼ぎの感覚でした。

15年以上勤めている「認定NPO法人出発(たびだち)のなかまの会」は大阪市生野区にある団体で、「どんなに重い障害を持っていても地域であたりまえの暮らしをする」という理念のもと、重度の知的障害を持つ方を中心としてグループホームや働く場を運営しています。「たびだち」は単なる介護派遣事業者ではなく、制度が十分に無い時代から障害当事者と支援者が共に障害者運動に携わり、日本の障害福祉制度を構築してきた運動体のひとつで、現在も知的障害者の権利保障のため「ピープルファースト運動」などに関わっています。

ピープルファースト ::: 社会福祉法人創思苑

出典:社会福祉法人創思苑

https://soshien.com/activity/people.html

ピープルファーストジャパン - ピープルファーストジャパン

出典:ピープルファーストジャパン

https://www.pf-j.jp/

ジャマイカ通いが実を結び、2019年4月からJICAボランティアとしてジャマイカに派遣され、晴れて出稼ぎ生活に終止符を打ち、国から資金をもらって活動出来ることになりました。が、喜んだのも束の間、1年目の終わりにコロナパンデミックが起こり、2020年3月に緊急帰国となりました。2年の任期の半分を残し、志半ばで帰国を余儀なくされましたが、帰国を通告された時には悲しむ暇もなく「どうやってジャマイカに戻って来ようか」と即座に考えたことを覚えています。

NPO法人LINK UP JAJAは、帰国同年、コロナ渦真っただ中の2020年12月に立ち上がりました。観光業を主産業とするジャマイカでたくさんの仲間たちが収入を失い、政府からの援助もなく途方に暮れているのを見て「これは大変だ!」と始めた個人的活動が、たくさんの人たちの協力を得てNPO法人設立へと発展しました。そして、法人の活動は「困っている仲間を助ける」という緊急的な支援から「障害者の居場所づくり」という長期的な支援目標を持つようになります。

JICAボランティアの再派遣が丸2年経っても実現せず、ほとんど忘れていた頃に「永村さん、また行きますか」とJICAから声がかかり、2023年1月末、3年ぶりの再派遣が叶いました。しかも、もう一度2年の任期を頂けるという光栄!環境教育隊員としてSt. Ann県で学校巡回の仕事を中心に活動し、NPO法人LINK UP JAJAが行う「障害者の居場所づくり事業」を進める、二足のわらじ生活が始動したのです!