ジャマイカの障害福祉事情⑤

ジャマイカの地域で暮らす障害児者 

アントニーのケース

HOTEL RIU OCHO RIOS - Updated 2023 Prices & Reviews (Mammee Bay, Jamaica)
Ocho Rios, Jamaica

出典:Trip Advisor

観光業を産業の柱とするジャマイカには、美しいカリブ海を求めて毎年250万人、多い年では400万人もの観光客が訪れるそうです。私が暮らすSt. Ann県も北海岸に面しており、家のすぐそばにあるビーチ沿いにはホテルが立ち並んでいます。

クルーズ船が停泊する観光地Ocho Rios(オーチョリオス)を歩いていると、土産物屋の前で物乞いをしている男性が「こんにちは!ほんの少しでいいので、どうかご慈悲を」と私に話しかけてきました。車椅子に座る彼は細く短い腕で小さなバケツを抱えており、バケツにはいくらかのお金が入っていました。私がほんの少しのお金を渡して「良かったら少しお話を伺えませんか?」と聞くと、彼は快く自己紹介してくれました。

アントニーさんは先天性の障害者で、短い手足を持っています。とても社交的でコミュニケーションが上手く、人と接し慣れている感じがしました。

「ジャマイカは道がとても悪いので、車椅子で移動するのは大変でしょう?」と尋ねると、「僕は他県のSt. Catherineからやって来てる。ほんの少しの距離なら歩けるから、家からバス停まで歩いて、バスを乗り継いでここオーチョリオスまで来てるんだよ」と教えてくれました。バスの乗降は乗客や「ドクター」と呼ばれる集金係(Conductor)が手伝ってくれるのでしょう。体の小さい彼がひょいと持ち上げられてバスに担ぎ込まれるのが目に浮かぶようです。

「いつもここで活動されているんですか?」と聞くと、「この土産物屋は僕のいとこがやっているんだ(ジャマイカ人は兄妹が多いのでいとこがうん百人といる)」と答え、長時間立っていることが大変なアントニーさんのため、親切にも店が車椅子を預かってくれていると教えてくれました。

「ご家族と同居されているんですか?」との質問に「僕、独り暮らしなんだ。家賃を払わないといけないから、こうしてオーチョリオスまでやって来て物乞いしてるんだよ」と答えるアントニーさんに「なんてインデペンデントなんだ!」と感心すると同時に、物乞いをすることでしか生きていけないジャマイカの障害福祉事情を改めて思い知りました。

ジャマイカの街では、道を歩いていると視覚障害者が小銭の入ったバケツを上下に揺さぶってジャラジャラ音を立て、寄付を呼び掛けているのをよく目にします。ファストフード店の前で男性の身体障害者が物乞いをしていた時、ハンバーガーセットを買って渡すと「ありがとう。あなたに神のご加護がありますように」と繰り返しお礼を言われて、なんだか逆に辛くなってしまったこともありました。銀行のATMの前で物乞いしいてる人もいましたが、その時はお金を渡す人を見ませんでした。

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出典:Jamaica Gleaner

https://jamaica-gleaner.com/article/news/20150304/jamaican-government-pledges-82m-assist-persons-disabilities

ジャマイカでは、重度障害者の雇用はほとんど実現していません。先に述べたように、生活保護制度もありません。そのため重度障害者は施設に入所するか、家に引きこもるか(親に隠されてしまう)、街に出て物乞いをする以外の選択肢がほとんどないのです。日本でも、わずか数十年前はそうでした。先進国以外の国々では、重度障害者は似たような状況に置かれていると想像します。

ジャマイカは障害者の権利条約に批准していますが、条約に掲げられているような障害者の権利保障の実現とはほど遠いところにいます。制度が変わるのを待っていられないので、今ある制度を最大限利用しながら、さらなる制度保証を求めて地道にロビー活動をしつつ、仕事づくりなどの支援を出来る範囲でやっていくしかないだろうと、現時点では考えています。

NPO法人LINK UP JAJAの「障害者の居場所づくり事業」も、障害当事者との物づくりをメインに進めていく予定です。ジャマイカは物価が非常に高いので、場所代や水光熱費、支援者の賃金や障害当事者の送迎にかかる費用を考えると、ランニングコストがとても大きく、それらを捻出する仕組みを作るのには時間がかかります。そのため、まずは地域の教会や学校などを借りて、少人数で、試験的に取り組みを進めていきます。(助成金などについて、おススメ情報があれば是非とも教えてください!)

NPO法人LINK UP JAJAのInsragramやFacebookページ、ホームページのブログや、年に4回発行する会報「JAJA REPORT」の中で居場所づくり事業の取り組みについても報告して参ります。皆さまの温かい支援、応援、協力、協働、どしどしお待ちしております!

ONE LOVE

NPO法人LINK UP JAJA代表
永村 夏美

ジャマイカの障害福祉事情④

ジャマイカの地域で暮らす障害児者 

ダーシーのケース

Brown‘s TownはSt. Ann県の山の上にある、人口8000人ほど(2009年の見積もり)の小さな町です。数年前から地域の町内会CDC(Community Development Committee)に参加し、地域活性化のための活動を応援しています。

NPO法人LINK UP JAJAが立ち上げた「障害者の居場所づくり事業」のための調査協力をCDCメンバーに打診すると、障害を持つと思われる住人を紹介してくれました。

ダーシーを初めて訪ねた時、知的障害当時者である彼女と高齢の両親が置かれる極度の貧困状態を目にして、「これは障害者支援うんぬんのレベルの話ではない」と頭を打たれました。

彼らが暮らす木造の小屋のような家には電気も水も通っておらず、トイレもキッチンもなさそうで、屋根と壁がある以外はホームレスの暮らしとなんら変わらないようでした。高齢の母は糖尿病のために失明しており、父も足を引きずって歩いていました。家を掃除できる人がいないので埃っぽく、ベニヤがじっとり湿って、ツーンと酸っぱい臭いがしていました。

ダーシーは調査で初めて出会った障害当事者だったので、「最初から大変なケースに出会ってしまった」と正直参りました。かと言って出会わなかったことに出来ないし、どうしようかなぁと思いつつ、とりあえず顔を見にダーシーの家に毎週通うことにしました。

社会から置き去りにされ、ほとんど忘れ去られた存在の自分たちを訪ねる日本人を、ダーシー一家は歓迎しました。母は自分たちがいかに苦しい環境に置かれているか必死で説明し、助けて欲しいと訴えました。認知症が始まっているようで、昔の出来事を繰り返す母の話を、父はほとんど黙って聞いていました。人懐っこいダーシーはすぐに私を受け入れ、大事にしまってあるお絵かきノートを見せてくれました。

最初の訪問を終えた私は、町内会に「ダーシー一家を緊急的に支援して欲しい」と伝え、SOSを受けた町内会のメンバーがベッドマットや食料を寄付してくれました。しかしそれだけでは生活の質は向上しません。日本であれば生活保護を受けて、ケアマネジャーがついて、両親とダーシーそれぞれを支援するのでしょうが、ジャマイカではそのような仕組みが整っていません。私にできることと言えば、絵を描くのが好きなダーシーにノートや色鉛筆を持って行ったり、庭で採れたマンゴーを届けたり、クラッカーやパン、缶詰など腐りにくい食料を寄付することくらいでした。

 

2022年に半年ぶりにジャマイカに戻った際、すぐにダーシーを尋ねました。お父さんが亡くなり、母とダーシーは親戚の家に引き取られて、別の町で暮らしていました。

 ダーシーのお母さんの娘で、父親違いのお姉さんである女性が、ダーシー親子を受け入れていました。お姉さんが暮らす家は決して裕福ではないにしても、水や電気など必要最低限の設備が整っており、ダーシーと母に会ってまず「お風呂に入れるようになったんだ!」と思いました。父が亡くなったことは残念ですが、それをきっかけに彼女らの生活の質が見違えるほど向上し、人間らしい暮らしが出来ているのは嬉しいことです。建て増しを繰り返した家にはダーシーの甥や姪が一緒に暮らしていて、賑やかで幸せな雰囲気でした。ダーシーの表情がとても和らいでおり、彼女がそれなりに快適に暮らしていることが見て取れました。

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2021年 ダーシーと

 その頃大阪では、コロナで数年間見送りになっていた音楽祭「つながらーと」が数年ぶりに開催されることが決まりました。「つながらーと」は障害がある人も無い人も一緒に楽しむ音楽祭で、ステージでは障害当事者グループやプロのミュージシャンが各々のパフォーマンスを披露します。寄付金を原資に開催されている「つながらーと」のスポンサーには障害当事者が企業の看板を書いてくれるというリターンがあり、主催者から「ジャマイカの子供や障害者にもスポンサーの絵を描いてもらえないか」と打診を頂いたので、私はダーシーにその仕事を依頼することにしました。

つながらーと | Tunagarat

出典:つながらーと

https://tunagarart.jp/

 ダーシーが担当したのは自営業の大工さんで、お店やおうちを建てる人でした。大工さんは仕事をする時いつもマリア様の絵を立てかけて作業するので、出来ればマリア様の絵を描いてほしいと言うリクエストが主催者からありました。

 私はマリア様の絵をプリントアウトして持参し、ダーシーにこれを描いてほしいと頼んだのですが、ダーシーはマリア様の絵を椅子に立てかけ、その絵は全然見ないで、なぜか家の絵を描き始めました。ダーシーには「大工さん」とか「家」という情報は一切伝えていないのに、彼女がスポンサーさんのイメージを受け取ったようで、不思議で素敵な経験でした。

 1日のほとんどを家で過ごすダーシー。「彼女が参加するアートクラスみたいな取り組みが出来たらいいな」と以前から考えていますが、まだその実現には至っていません。ダーシーは人懐っこく、とてもチャーミングなので、コミュニティーと繋がればきっと地域の人に愛されると思うのですが、ジャマイカの地域社会には彼女のような知的障害者を受け入れる受け皿がないのです。NPO法人LINK UP JAJAはダーシーのような人たちが地域で認知され、社会と繋がって暮らせるよう、働く場、集う場を作りたいと考えています。

ジャマイカの障害福祉事情③

ジャマイカの地域で暮らす障害児者 

ケリーシアちゃんのケース

「ジャマイカにおける障害者の居場所づくり事業」を立ち上げるにあたって、ジャマイカの地域で障害のある人たちがどんな風に暮らしているかを知る必要がありました。そこで、コミュニティーで暮らす障害児者の自宅を訪問し、聞き取り調査を行いました。

重度の身体障害(おそらく脳性麻痺)を持つ6歳のケリーシアちゃんは、St. Ann県の小さなコミュニティーでお父さんと暮らしています。シングルファーザーのお父さんは定職を持たず、大工仕事を中心にその時ある仕事をしながら一生懸命ケリーシアちゃんを育てています。ジャマイカでは約8割の母親がシングルマザーであると言われるほど未婚率が高く、あちこちに子供を作ったまま父親としての責任をほとんど放棄してしまう男性も少なくありませんが、ケリーシアちゃんのお父さんは対照的に、重度の障害を持つ娘を男手一つで精一杯育てています。

お父さんに「ケリーシアちゃんの障害は何ですか」と尋ねた時、お父さんは「分からない」と答えました。ケリーシアちゃんはこれまで、医師による障害の診断(アセスメント)を受けたことがなかったのです。

ジャマイカの障害福祉は先進国に比べるとまだ発展途上にありますが、何も無いわけではありません。障害を持つ人はジャマイカ障害者評議会(JCDP:The Jamaica Council for Persons with Disabilities)に登録し、必要に応じたサービスの案内を受けることができます。しかしアセスメントが無ければサービスを受けるための登録をすることが出来ません。

私はお父さんを説得し、まずは障害福祉事業を担当する労働社会保障省(Ministry of Labour and Social Security)にケリーシアちゃんとお父さんを連れて行き、アセスメントを受けるための費用補助を申請しました。障害者評議会に「医師による診断を受ける数万円の費用が払えない人はどうすればいいのか」と尋ねた際、管轄の省庁で費用補助を申請するよう指示されたからです。

日本の障害者支援の経験から、ジャマイカでも最初は支援を断られるであろうと予測していました。文字の読み書きが苦手なお父さんが1人で手続きするのは困難で、一度断られると諦めて帰ってきてしまうと思い、省庁に同行することにしました。日本でもジャマイカでも、行政との折衝は押してもダメなら押して押す、です。決して引き下がってはいけません。

省庁では予想通り、一度は「まずは自費でアセスメントを受けてもらわないことには前に進まない」と断られました。私が担当職員に「それではアセスメントを受ける費用を持たない貧しい人たちは福祉サービスを受けられないのですか」と反論し、「どうか助けて頂けませんか」と懇願するのを、ケリーシアちゃんはぽかんと見ていました。担当した女性職員が、父に抱かれる幼い障害児を見て「こんなに可愛い子がねぇ…」と言って手続きを始めた時は、安堵のため息が出ました。

このような行政手続きに関して、低所得層の人たちはあまり知りません。私はたまたま、日本における障害者支援やジャマイカにおける青年海外協力隊活動、NPO法人LINK UP JAJAの活動を通して多少の行政手続きに関する知識があり、省庁職員とのコネクションもあったので、今回の補助申請やサービスへの登録がスムーズに進みました。しかし低所得層は情報へのアクセスが少なく、出生証明書やパスポートなどのIDを持たない人も多くいるため、手続きまで辿り着かない、または手続きを途中で諦めてしまう人が多くいると思います。

ケリーシアちゃんは無料で医師による診断を受け、正式な障害名がついて、ジャマイカ障害者評議会に登録することが出来ました。また、お父さんはケリーシアちゃんを抱えて移動することからひどい腰痛を発症しており、そのことを知った評議会からケリーシアちゃんに車椅子が贈与されました。さらには、お父さんは低所得者への援助プログラムに乗ることが出来て、少しの資金援助を受けることが出来たのです。ケリーシアちゃん担当のソーシャルワーカーもいます。ケリーシアちゃんの件を通して、「障害福祉なんて何もない」と思っていたジャマイカに少しの障害福祉制度があることを学び、しかしサービスにアクセスするにはハードルが高いことも分かりました。

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今回、自らコミュニティーに入り込んで調査することで、たくさんのニーズに出会いました。そして、支援が必要な本人に代わって調べものをしたり省庁と交渉したり、行政サービスに繋ぐまでのサポート、言い換えれば「支援を受けるための支援」を行いました。コミュニティーには確実にニーズがあり、必要な支援を受けられていない人たちが山ほどいます。住民からの申請を待つだけでなく、行政側からコミュニティーにアウトリーチする必要性を強く感じます。「助けて」と言うのにも、誰にどう助けを求めるか、知識や経験が必要とされるからです。

ケリーシアちゃんは6歳で、本来であれば就学を始める年齢ですが、ジャマイカでは行政から就学を案内されることはなく、こちらから特別支援学校などに申し込まなければいけないようです。障害のある子もない子も共に学ぶインクルーシブ教育は実現していないので、まずは彼女を受け入れてくれそうな特別支援学校を探すのが現実的です。子供の教育機会を逃してはいけないと、お父さんを励ましてケリーシアちゃんの就学の実現を後押ししているところです。