NPO法人LINK UP JAJA(リンコップジャジャ)が制作したカレンダー「JAJAカレンダー2024」
LINK UP JAJAに関わる人々の笑顔をたくさんの写真に詰め込みました。
カレンダーの売上は、「ジャマイカにおける障害者の居場所づくり事業」など、LINK UP JAJAが取り組む様々な社会貢献活動に役立てられます。
カレンダーには予定が書き込めるので実用的です。お部屋に、職場に、ご活用下さい。
サイズ A3 縦
購入は全国の協力店、オンラインショップで購入できます。
NPO法人LINK UP JAJA(リンコップジャジャ)が制作したカレンダー「JAJAカレンダー2024」
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社会格差が大きな課題となっているジャマイカ。その中でも女性や子どもたち、障害者の方たちはより厳しい生活を強いられているのが現状です。今回から2回に分けて、ジャマイカの障害をもつ子どもたちが直面する現実とジャマイカの社会福祉について、ご紹介していきます。
お話を伺ったのは、代表永村の同期でもある2018年度4次隊、ジャマイカ派遣のあゆみさん!作業療法士としてNGO団体CBRJで活動されていたあゆみさんに、がっつり2時間インタビューをさせて頂きました。
<目次>
そもそも作業療法士とはどんなお仕事なのでしょうか?
医療関係のお仕事をしていない一般の方には、なかなか想像しづらいのではないかと思います。ちなみに私も全くイメージが付きません。
というわけで、改めましてあゆみさんよろしくお願いいたします!
よろしくお願いします。
作業療法の仕事は、実際に作業療法をしていても伝わらないことがあるので確かに難しいですよね。哲学としては「作業をすることで人は健康に幸せになる」といわれていて、日常生活でいうと朝起きたら顔を洗って、ご飯を食べてとか、学校に行って、仕事に行って。とかそういう作業(占有している活動、occupation)の積み重ねがその人、その人の人生を作っています。
だから、もし障害を持ってトイレができなくなれば自分の尊厳が下がりますし。その子に合わないレベルの難しい課題ばかりさせられていたり、子どもにとってもみんなができているのに自分だけできなかったら自信を失ってしまいますよね。そしてその作業も和式便所なのか洋式便所なのかなどの文化習慣の違いで、満足する作業も変わってきます。
患者さん一人ひとり違うゴールを持っているんですね。
自分の日常生活を、“作業の連続”という観点で見たことはなかったのですが、確かに小さなケガでも“いつも通りの当たり前の作業”が思うようにできなくなるだけで、ものすごいストレスを感じていました。持っている力を作業を通して最大限に引き出すことで、自分の尊厳が保てるということなんですね!
そうなるとジャマイカと日本では文化的背景も生活も全く違って、苦労したところも多かったのではないでしょうか?活動先のCBRJはどんなNGO団体ですか?
障害をもつ子どもたちが通ってくる施設です。
私が活動していた時は、2歳から13歳の子まで。脳性麻痺、知的障害、ダウン症、自閉症、ことばの発達がゆっくりな子たちがいました。基本的にはセルフケア、特にトイレの自立していない重度な子が多かったですね。ジャマイカの学校にも特別支援学校は一応あるんだけど、トイレが自立していないと受け入れてもらえなくて。
キングストンなら障害が重くても行ける場所はもっとあるんだけど、私が住んでいたマンデビルっていう、首都から2時間ぐらいの都市には障害のある子どもたちを預かってくれる施設が少なくて、そういう子たちが日中過ごす場所として来ていました。
でもちゃんとした教師の資格を持った先生はセンターマネージャーっていう施設長だけで、あとは本当に地域の子育ての経験しかない人たちがスタッフとして働いていました。
歴史はまあまあ長くて1980年代ぐらいからNGOの団体はあったんだけれども、NGOの本部はスパニッシュタウンていう昔首都だったところにあって、私がいたその支部は私が配属される半年前に再開したばっかり。お金がなくて5年ぐらい閉まっていて、教育省からお金が出てやっと再開したところでした。だからほとんどのスタッフは再開してから初めて雇われたスタッフばかりの状況でしたね。
地元の特別支援学校に行けない子どもたちにとっては、外の社会に関われる貴重な場所なんですね!再開したばかりの施設に、経験の浅いスタッフ。。なかなか厳しい状況が伺えます。
教育省からお金がでてというお話でしたが、運営資金はすべて教育省からでていたのですか?
スタッフの給料自体は教育省から出ています。それが出るようになったから、たぶん再開できるようになったのかな。それ以外は寄付から成り立ってる部分が大きくて。デジセルっていう携帯の会社が、デジセルマラソンみたいなイベントをしたりして、参加費とか協賛のお金を集めて分配してくれます。
そういう企業から寄付があるのと。ジャマイカはすごく貧富の差があるから、お金持ちの人が寄付をしてくれます。お金持ちの人たちは身につけているものが全然違います。あとは教会からの寄付ですね。
そんなに高くはないんだけど、子どもの家族から徴収する教育費とか。最初入るときに、聞き取りをして子どもの今の発達レベルを聞くアセスメント料と、学期ごとの授業料もあって、それでやっと成り立っていました。
政府に企業に教会まで支えてくれる場所が多いのはとても素晴らしい環境ですね。筆者がいたアフリカのザンビアだと、「給料が未払い→仕事のモチベーションが上がらない→売り上げも上がらない→給料が支払えない」みたいな悪循環に陥っているところはとても多かったので。スタッフの給料がきちんと確保されているというのはとても大切なことだと思います。
具体的にはどんな活動をされていたんですか?
なる現地での活動
子どもの数がものすごく多くて、なかなか大変なところもありました。
再開したばかりだったのもあって、私が赴任した時は子どもが5人しかいなかったんだけど、いろんな人が広めたりとかスタッフも宣伝したりして、9月の新学期には30人ぐらいになって。なのにスタッフが5人ぐらいしかいない状況でした。
重度な子が多いから、ご飯食べさせたりオムツ替えたりに時間が取られるし。逆に動けるけれども走り回ってる子もいるから。最低限ご飯はあげるし、オムツは汚くならないように頑張るけど、もうそれでへとへとみたいな感じでしたね。最初は。なんとなく成り立っていました。
資格もないというのもあるし、いつ何するかの枠組み、誰が何をするかも全然決まっていなくて、このだいたいのスケジュールも子どもが増えて4ヶ月後くらいにやっと定着していきました。
障害のタイプも色々ある2歳~13歳の子どもたちを5人のスタッフでみていたんですか!?
カオスな状況が目に浮かびます。それだけでも脱帽ですが、施設以外でも色々活動されていたんですよね?
そうですね。その施設だけを見ていたら、ジャマイカに求められている作業療法士像とか、その子たちにとって必要なことが見えてこないような気がして、地域に行って、施設が地域にとってどんな役割を担っているとか。子どもたちが社会参加をするために、今学校に入れてもらうためにはどんな要素が必要かとかを知りたかったんです。
それで首都にある障害者登録を管轄している労働省に行って、CBRJにいる重度の子たちが、卒業したあとに行く場所だったりとか、障害者に対するサービスの詳しい条件を聞きに行ったりしていました。
マンデビルの地域にできたばかりの障害児のアセスメントセンターがあって、そこではどんなサービスを提供しているかを見に行ったりとか。一般の幼稚園(ベイシックスクール)や小学校で子どもたちが求められている作業スキルを確認したり、先生が障害を持った子どもたちにどんな考えを持っているか聞きに行ったりとかもしていましたね。
作業療法士のお仕事についてのお話であったように、子どもたちが置かれた文化的背景や環境を知ることがとても大切なんですね。それにしてもあれだけ毎日の仕事が忙しそうなのに、施設の外でもアクティブに活動されていたことが尊敬です。
活動をしていくなかで、どんなところで日本とジャマイカの違いを感じましたか?
日本だと子どもは遊ぶもの。って感じだけど、ジャマイカのベイシックスクール(4~6歳の子が通う幼稚園)は読み書き計算ができるようになるための勉強をするところという印象でした。
滑り台1つ滑るにしても数字のカードを渡されて、1番のカードを持っている子は滑っていいよって言われるけどまだ数字が理解できていないので、この子たちにとって難しいことをしているなと思いました。
他にも先生の言うとおりにやらなきゃいけないことが多いかな。工作をするときもヤム芋(紙で?)を作るときに、もう芋の形に切られていたり、絵の具で色を塗るんだけど、絵の具の量もこれくらいって渡されて、こういう風に塗りなさいまで言われて。言われたとおりにやるんです。それでもカリキュラムの目標にはクリエイティブ、創造性を養うって書かれてました。笑
先ほどのお話ともかぶってくるのですが、生活とかをイメージするのに、前提が日本と違うのでそこは難しかったです。寝るのはお布団ではないし、土足の文化だから床でハイハイするのも限られた場所で。
ジャマイカの人のスタンダードが分からないから、それを飽くなく探求していました。
絵の具の色も、塗り方も指定されて、クリエイティブを養うのはなかなか難しそうですね笑
幼稚園児は思いっきり遊んだほうがいいのか、勉強したほうがいいのか、どちらが絶対に正しいというのはないと思うのですが、個人的には幼稚園の時に勉強しなくてすんでよかったなと思います。体を使って全力で遊べる時間は、人生の中でそんなに長くないですからね。
今後、コロナが終息したら再派遣も考えているとお伺いしました。現地の戻ることができたらどんな活動をしたいですか?
具体的には戻ってから考えようとも思っています。
でも活動中はセンターでの活動に一生懸命で、子どもを連れてきてくれる親とたまにおしゃべりするぐらいで、親にその子の持つ力を伸ばすためにどんなことに取り組んでいるか、家でどんなふうに過ごすとそれが生かせるか、その子に何が必要かとかをきちんと伝えられずに帰ってきてしまったことが心残りです。
あとまだ学校が再開してないのでずっと家にいて、親と関係がうまくいっていない子どもや、家庭環境が複雑で子どもとして必要な世話を十分に受けられていない子も中にはいたので、とても気になっています。
なので再派遣ができたら、家庭訪問をして、家庭の状況とかを知って、もう少し子どもと家族に向き合うこと。できたら自分の配属先の中だけではなく、コミュニティーの情報を集めたり、JICAの研修で知り合ったジャマイカの人たちと協力して、セルフアドボカシー(支援される立場ではなくて、自己決定を行う主体であることを主張し実践していく権利擁護の活動)の取り組みも行ってみたいなと思っています。
でもまだ再派遣されるか未定ですし、そのときに自分の状況が整っているかもわからないし、状況も変わっていそうなのであくまで想像ですね。
戻ってからもやることがたくさんありますね!日本だけでなく世界のコロナウィルス感染症が1日も早く終息することを願っております。
今回は、作業療法士は何か?というところから、あゆみさんのジャマイカでの活動やジャマイカと日本の違いについてお話を伺いました。次回はさらに具体的に、障害のある子どもたちが置かれている状況や、あゆみさんの生徒さんたちについてお話していきます。
お楽しみに!
ユリさんとの出会いはおよそ5年前。人との出会いが何重にも重なって生まれた、NPO法人LINK UP JAJAとユリさんとのめぐり逢い。
ここからは、筆者とユリさんとの出会いや、過酷な幼少時代を生き抜き人生を切り開いたユリさんのヒストリー、NPO法人LINK UP JAJAの今後のビジョンなどについてご紹介したいと思います。(以下敬称略)
<目次>
「リサ」と初めて出会った筆者は、当時18歳。高校卒業後ジャマイカに語学留学し、20歳直前まで過ごした筆者に、最終学期マンツーマンで教えてくれた英語の先生がリサでした。リサはアメリカ人ですが、イギリスとジャマイカのハーフである夫アンドリューと共にジャマイカに移住して、もう50年になります。
リサは英語の教師ですが、筆者が彼女から学んだのは語学だけではありません。彼女の授業では教材がそのまま使われる時間はごくわずかで、価値観や人生観、社会問題など、実に様々なことがトピックにされます。
「外国人としての自分がジャマイカとどう向き合うか」という課題について、筆者がリサから受けた影響は大きく、筆者は彼女を「ジャマイカの母」と呼んでいます。彼女もまた筆者を「娘」と呼び、血縁を超えた「家族」になっています。
実は、リサとアンドリューのゴードン夫妻は、2人の間に恵まれた3人の息子の他に、たくさんの養子を迎えています。養子は皆、彼らが暮らす地域出身の子供たちで、その一番初めの養子がユリなのです。
「子供たち」と言っても最後の養子は現在20代で、立派な青年になっています。村の人たちがゴードン夫妻に親しみ、尊敬の念を持って接している様子を見ると、半世紀前にジャマイカに移り住んだゴードン夫妻と地域との関わりの深さが見て取れるようです。
ゴードン夫妻宅から徒歩10分くらいのところに家を構えるユリは、今でも彼らを頻繁に訪れます。
筆者がゴードン夫妻宅にホームステイした2017年に、筆者とユリは初めて出会いました。私たちはすぐに打ち解け、彼の自宅に下宿させてもらうことが決まり、4か月間ユリの家族「ピント(Pinto)一家」と共に過ごしました。
それ以来、筆者とピント一家はファミリーになったのです。つまり、ゴードン一家(リサ)、ピント一家(ユリ)、日本からやって来た筆者は、ひとつの大きな家族One Big Fambily(ワンビッグファンビリ※)になったというわけです。
※Fambilyとはジャマイカの言葉でFamily:家族
当時20代だったゴードン夫妻がいつもストリートで見かけていた当時9歳のユリが、あまり家庭環境に恵まれない子供であることは明らかでした。いつも家にやって来るユリをいつしか家族のように迎え、食事を与え、学校に通わせたゴードン夫妻。
夫のアンドリューが仕事で町に下りていく時、彼のトラックの荷台には地域の子供がいっぱい乗っていて、風物詩のようでもありました。現在アンドリューは勤めていた会社を引退し、農業を営んでいます。
父を知らない子供はジャマイカにたくさんいますが、ユリもその一人でした。3歳の頃母親を亡くしたユリに、実の両親の記憶はほとんどありません。多くの時間をストリートで過ごしていたユリにとって、ゴードン夫妻は行き場のない自分を助けてくれた人生の恩人です。
彼はインタビューの中で「リサとアンドリューに、自分を拾い上げてくれてありがとうと言いたい」と深い感謝の念を述べています。「リサとアンドリューに学校に通わせてもらうようになって、文字の読み書きが出来るようになった。読み書きが出来るようになるというのは、人にとってこれほど喜ばしい達成はない。」と語るユリ。
学ぶことの尊さを、学びたくても学べなかった人が語ることで、その重みがひしと伝わってきます。
時としてジャマイカでは、地域の人たちと人間関係を築く過程で、貧困をはじめとする様々な社会問題に向き合わざるをえない状況があります。どうアクションするかは自分の価値観やポリシーに従う他ありません。
幼いユリも私と同じように、ゴードン夫妻の価値観や生き方に多大な影響を受けたのではないでしょうか。「家庭環境に恵まれなかった自分がどうやって生き抜いていくか」という課題に対して、ユリが導き出した答えは「一刻も早く経済的に自立すること」でした。
彼がインタビューで語ってくれた「16歳の時アンドリューに買い与えられた自転車を売り、そのお金でミシンを買ってテーラーになると決断し、実際に起業した」というエピソードが、そのことを証明しているような気がします。
ユリはインタビューの中で「私の妻ほど素晴らしい女性を、他に見つけることはできないだろう」と語っています。ユリの妻クリスティーンは、敬虔なクリスチャンで慈悲深い人であるばかりではなく、強い精神力の持ち主です。
彼女がこれまで並々ならぬ実行力で一家を支えてきたことについて、ユリはインタビュー中に「彼女は、なんでそんなことが出来るのか分からないけれどそれをやってのける、すごい人なんだ」と語っています。まさに縁の下の力持ちで、ユリもその働きを「一家の大黒柱」として賞賛しています。
現在ユリは妻、娘、孫2人の5人で暮らしています。ブルーマウンテンに位置するメリーランドの豊かな土地で、野菜や果物を育てながら、テーラーの仕事や運送業、小売業など、やれることは何でもやって家計を支えています。シングルマザーの娘の幼い息子たちが立てる騒音に悩まされながらも、おじいちゃんのユリはとっても幸せそうに見えます。
物価に比べて賃金が低いジャマイカで、時に資金繰りに苦労しながらも、目の前の食事に、眠るベッドに、命あることに感謝するジャマイカの人たちを見ていると「しあわせって何だろう?」という根本的な問いが湧いてきます。
特にこのコロナ渦で日本の自殺者が増えているというニュースを観ると、ジャマイカよりもはるかに社会保障が充実しているはずの日本で、どうしてたくさんの人が自ら命を絶ってしまうのか、日本の「生きづらさ」について考えずにはいられません。
一方で、格差社会のジャマイカでは「お金があるということは、選択肢があるということ」と実感する場面が多くあります。また、貧困が教育機会を奪い、教育機会を奪われた人が貧困に陥り、犯罪率の高さに繋がる悪循環は、ここジャマイカでも深刻な問題となって長年居座っています。
この点について、ユリもインタビュー中に「ジャマイカは産業の発展にもっと力を入れるべきだ」と大変熱く語っておられます。
2015年9月の国連サミットで採択された、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標SDGsは 「Sustainable Development Goals」の略称ですが、ここでもやはり「持続可能な開発目標」ということが掲げられています。
先進国が一方的に開発途上国を「支援」しても、被支援国が発展を遂げられなかった苦い経験から、この「持続可能(サステナブル)」という概念が生まれました。お金がある国や組織が、ない国や組織に一方的に与えるだけでは、支援される側に依存体制が出来てしまいます。支援者が去った後、被支援者が独り立ちできる仕組みを目指すべきで、それが「持続可能」な支援のあり方です。
日本のテレビで、ある女優さんがアフリカの水が無い地域に飲み水製造機を届けに行くという番組を観たことがあります。あのプラスチック製飲み水製造機は果たして住民に維持・管理が出来るのか、修理に必要な材料は現地調達可能なのか、その部分について語られることはありませんでした。
NPO法人LINK UP JAJAのモットーは「サステナブルな取り組み」です。ジャマイカの人たちと繋がり、共に育ち、双方にメリットが生まれる仕組みを模索し、また日本の皆さんに「自分も仲間に加わりたい!」と思って頂けるムーブメントを巻き起こすため、活動を広げ、深めていきたいと考えています。NPOの正会員、賛助会員も大募集しております!
ホームページ等を通してお気軽にお問い合わせください。
ジャマイカと日本が「リンクする」ことを目指して立ち上がった「NPO法人LINK UP JAJA」。
CHAKA CHAKAはそのNPO法人リンコップジャジャの事業として、ジャマイカの職人さんたちとの出会いを大切に、公平に取引し、持続可能なビジネスモデルを目指して展開していきます。
ジャジャ立ち上げ企画として、日本でプロデュースした布をジャマイカに持って行き、ジャマイカの仕立て屋さんに作ってもらったのが「JAMALOHA」(ジャマロハ)です。
日本の浮世絵を思わせる波とジャマイカのシンボルとも言えるラスタカラーが、まさに日本とジャマイカをLINK UPした製品となりました!
JAMALOHAを仕立ててくれたのは、ジャマイカの首都Kingstonに隣接するSt. Andrew県に暮らすUley(ユリ)さん。洋裁歴46年のベテランで、奥さんと娘、孫2人の4人で暮らしています。
灼熱のKingstonとは打って変わってユリさんが暮らす地域は標高が高いため、朝晩は涼しく快適です。緑豊かな自然の中にユリさんの家はあります。
JAMALOHA製作過程では、様々なチャレンジもありました。ユリはジーパン作りが得意で、ジーパンや洋服を仕立てる際は顧客の寸法を測ってカスタムメイドすることが基本です。しかし今回は、まったく同じものを何枚も作って欲しいという、彼にとっては初めての依頼となりました。
コロナウイルス感染拡大の影響で帰国するまでジャマイカで活動していたNPO法人LINKUPJAJAの理事であるIoriが布をプロデュースし、同じくジャマイカで活動していた協力隊員がパターンやサンプル作りに協力してくれたのですが、ユリにとってはパターンを使うというのはほとんど初めてのことでした。
初めは10センチ以上の誤差が出るなどしたため、指示書を一緒に読み込み、パターンを使う意味を確認し、同時に日本のスタンダード「とにかく日本人は完成度にこだわる」ということを理解してもらいました。
「そういうことなら分かった。これからはパターンを使おう。縫い目もなるべく完璧に近づける。ボスはそっちなんだから、私は雇い主を満足させることに努めようではないか!」
と半分冗談で、しかしすごく真剣にこちらの意向を飲み込み、同じものを何枚も作るという作業をこなしてくれるようになりました。彼の優れた柔軟性と対応力に正直驚きました。
30年もののミシン。「29歳になる娘のタンデカより年寄りのミシンだ」とユリ。
彼との出会いはおよそ5年前。実はユリさんは、わたしのジャマイカの母「リサ」の養子の息子なのです。うーん、ややこしい!
リサとの出会いは私が18歳でジャマイカに留学していた時のことでした。高校卒業後すぐにジャマイカに飛び、首都Kingstonの語学学校で英語を学んでいました。その英語コースの最終過程の先生がリサでした。アメリカ人ですが、イギリスとジャマイカのハーフの旦那さんと共にジャマイカに移住して50年になります。
そのリサの一番初めの養子がユリなのです。実はリサは自分の子供3人に加えて、ジャマイカ人の養子を累計7人も育て上げています。リサと旦那さんのアンドリューについては、また別でご紹介したいと思います。ユリの幼少時代やテーラーになるまでの道のり、現在の家族を持つまでの人生など、ユリに直接語ってもらうため二度目ののインタビューを行いました。
第二弾へ続く。
2020年、ジャマイカと日本が「リンクする」ことを目指して立ち上がった「NPO法人LINK UP JAJA」。
CHAKA CHAKAはその「NPO法人リンコップジャジャ」(以下「ジャジャ」)の事業として、ジャマイカの職人さんたちとの出会いを大切に、公平に取引し、持続可能なビジネスモデルを目指して展開します。
ジャジャ立ち上げ企画として、日本でデザインした布をジャマイカに持って行き、ジャマイカの仕立て屋さんに作ってもらった「JAMALOHA」。アロハシャツみたいだけれど、メイド・イン・ジャマイカなので「ジャマロハ」です。日本の浮世絵を思わせる「波」とジャマイカのシンボルとも言える赤×黄×緑の「ラスタカラー」が、まさに日本とジャマイカをLINK UPした製品となりました!
今回の商品をプロデュースしてくれたジャジャの理事を務めるデザイナーのIoriは、コロナウイルスの影響で緊急帰国する2020年3月まで、ジャマイカで青年海外協力隊員としてボランティア事業に従事していました。ジャマイカに派遣される以前から日本の伝統文化を題材として商品作りをしていた伊織の得意分野と、1年間過ごしたジャマイカで得たインスピレーションが融合し、まさに日本文化とジャマイカ文化が「リンクした」製品が生まれました。
JAMALOHAを仕立ててくれたのは、ジャマイカの首都キングストンに隣接するセント・アンドリュー県に暮らす愛称「Uley(ユリ)」として親しまれるヒューバート・ピントさん。洋裁歴30年のベテランで、奥さんと娘、孫2人の4人で暮らしています。
灼熱の「コンクリート・ジャングル」であるキングストンとは打って変わって、ユリさんが暮らす「メリーランド」と呼ばれる地域は標高が高いため、朝晩は涼しく快適です。でこぼこ道を上った山の中腹、高級「ブルーマウンテンコーヒー」で知られるブルーマウンテンの裾の、緑豊かな大自然の中にユリさんの家はあります。
メリーランド(Maryland)は、実はジャマイカでもあまり知られていません。ジャマイカ人にさえ「メリーランドって、イギリスの?」と聞かれます。ジャマイカは独立前はスペイン、そしてイギリスの植民地だったため、元宗主国の地名が多く見られます。
写真は、メリーランドの広場にある「パトワの母」ミス・ルーことルイーズ・ボネットの壁画です。ジャマイカ人は壁画が大好きで、いたるところに大物レゲエ歌手や歴史的人物の肖像画が見られます。最近は「世界最速の男」ウサイン・ボルトの肖像画もよく見ます。
下町のパピンから、乗り合いタクシーで20分ほど山道を登ったところにメリーランドはあります。料金は片道100ジャマイカドル(70円くらい)。
Marylandに住む女の子たち、おそらく中学生くらいの年齢です。ジャマイカ人はとにかくファッションが大好きで、若い時からお洒落しています。
緑豊かなメリーランドで製作されたJAMALOHA製作過程では、様々なチャレンジもありました。ユリさんはジーパン作りが得意で、ジーパンや洋服を仕立てる際は顧客の寸法を測ってカスタムメイドすることが基本です。しかし今回は商品製作依頼という、彼にとっては極めて異例な依頼となりました。
布をデザインしたIoriと同時期にジャマイカで活動していた青年海外協力隊員※が、服飾のスキルを活かして商品のパターンやサンプル作りに協力してくれたのですが、パターンを使って全く同じ製品を何枚も作るのは、ユリさんにとっては不慣れな作業でした。
(※2021年4月現在、ジャマイカでの青年海外協力隊事業はコロナウイルスの影響でストップしている。再開時期不明。)
そのため、JAMALOHAプロジェクトに取り掛かってすぐの頃は、個体差10センチ以上の誤差が出るなどしましたが、これは想定内のことでした。現地で活動していた理事長も服飾経験がないため、日本にいるチームに助言を仰ぎながら、ユリさんと一緒に指示書を読み込み、パターンを使う意味を確認し、日本のスタンダードに近づくよう努めました。
その結果、「分かった。これからはパターンを使おう。縫い目もなるべく完璧に近づける。ボスはそっちなんだから、私は雇い主を満足させることに努めようではないか!」と半分冗談で、しかしすごく真剣にこちらの意向を飲み込んでくれたユリさん。試行を重ね、彼はついにサンプル商品と全く同じサンプルを作ることを達成したのです。
彼の優れた柔軟性と対応力は、予想以上のものでした。私が驚くと、ユリさんは「数十年前、首都キングストンの港に『フリーゾーン』と呼ばれる免税の工場地帯があったんだ。私はそこでアメリカの会社が巨大な服飾工場を所有していた頃、その工場で働き、一日に何百枚という洋服を縫っていた経験だってあるんだよ。プロフェッショナルが何であるかは、ちゃんと知ってるんだ。」と誇らしげにご自分のスキルや経験について語ってくれました。
ジャマイカの当時のフリーゾーンについては、ドキュメンタリー映画「Life and Debt –失われた真実‐」で詳しく語られています。すごく勉強になる映画で、オススメです!
ユリさんが使うのは、30年物のミシンです。「29歳になる娘のタンデカより年寄りのミシンだ」とユリさん。
50代半ばのユリさん。強靭な肉体を持ちながらも老いを実感することはあるようで、ミシンを使う際は老眼鏡が必須だとか。目が真っ赤になるまでミシンに向かってくれたユリさんに感謝です!
【Blog記事 JAMALOHA②】に続く
今回は木彫り職人のトニーさんを紹介します!
トニーさんはモーリスさんがいるマーケットの斜め向かいにある、大規模な土産物マーケットであるOcho Rios Craft Market(オーチョリオス・クラフトマーケット)にお店を構えます。
やはり、この日も歩いているお客さんは私だけ・・・。ジャマイカでは観光客の受け入れを行っていますが、そのほとんどがオールインクルーシブホテルに滞在します。ジャマイカ政府もコロナウイルス感染拡大防止の観点から、ホテルの外に出ないよう要請しています。そのため、アメリカなどから観光客が来ないではないものの、街中には観光客が戻ってこないのです。
▲疲れたのでココナッツ飲んで休憩!この日は2時間以上マーケットを歩き回って品定めした。御覧の通り観光客が自分以外おらず、閑古鳥が鳴いていた。
少ないお客さんが入ってきたとなると、一つでも商品を売ってなんとかその日の売り上げゼロを免れたい思いから、マーケットに多数あるブースからのラブコールがハンパありません!
「ハロー、ナイスレディー!見るのはタダだから、見て行って。ほら、こっちこっち!」と有無を言わさぬ勢いでお店に導かれます。コロナ以前から結構強引ですが、やはり商売が厳しい状況にあるため、客引きの勢いがパワーアップしています!笑いごとではなく、本当に厳しいのです。
▲ココナッツ(ヤシ、椰子)売りのおじさん。ジャマイカでは飲むココナッツを「ジェリー」と呼ぶ。
▲ココナッツウォーターを飲んだあとは、実を割って中に残っているゼリーを食べる。これがまた美味しい!
大変な思いをされているお土産屋さんのみなさんに労いの気持ちを持ちながらも、こちらも商売ですから品定めには時間をかけます。この日は木彫りにフォーカスしていたのですが、マーケットに出ていた木彫りを全て見て、「この人!!」と思う木彫り職人さんに出会いました。それが、トニーさんです。
トニーさんの木彫りはデザインが可愛らしいのはもちろん、色使いがポップでキュート!サンセットを受けゴールドに輝くヤシの木の色使いに、一目惚れしました。
トニーさんにインタビューを申し込むと快く引き受けてくれましたので、ここでその内容をご紹介します。
(以下、T:トニーさん、C:CHAKA CHAKA)
C: トニーさん、あなたのことを少し教えて頂けますか?
T: 僕が小学校に通っていたくらい小さい時、僕のおじさんが木彫りをやっていたんだ。僕はそれを見るのが好きで、自分でも木彫りをするようになったんだ。
C: 何年くらいやっているんですか?
T: 20年はやってるね。もう長いことやってる。
C: あなたの作品を少し見せてもらえますか?何があるんだろう・・・
T: 恋人、ハーレーダビッドソン(なんででしょう?笑)、魚、エイ、キリン・・・
C: 自分の仕事は好きですか?
T: 好きだよ。好きなんだけど、ほら今コロナのせいでビジネスがスローなんだ(売り上げが少ない)。でも諦めずに、いつか良くなることを願って続けているよ。
C: ワクチンなんかの影響で観光客が戻ってくると期待されていると?
T: そうだね、観光客が戻ってきてちょっとでもお金を落としていってくれないと。
C: そうですね。トニーさん、日本の皆さんになにか一言ありますか?
T: ああ、君が次来る時は日本から友達を連れてきて欲しいな。そしたら君に何か良いものをあげるよ(お友達紹介してくれたらお礼をするよという意味。ジャマイカらしい!笑)。
C: ほんと、そうなるといいな!トニーさんありがとうございました。
(インタビュー終わり)
とっても素朴なトニーさん!彼の人柄が木彫りにも表れているようです。お部屋に、お店に、ジャマイカに降り注ぐ太陽をいっぱい受けたヤシの木の木彫り、いかがですか?
4月を迎える前に桜は満開となり、早くも葉桜が増えてきた今日この頃。
昨年の9月に立ち上げたLINK UP JAJAは早くも半年がたち、少しずつメンバーも増えてきました!
そこで新企画!「あなたはなぜジャジャに?」
記念すべき1人目は、LINK UP JAJAの総務&経理を一手に引き受けている翔子さん!
レゲエ好きが高じて、新婚旅行もジャマイカへ行っちゃった翔子さんに、初渡航で見つけたジャマイカの魅力と、ジャジャのこれからについてお伺いしました。
うちはもう裏方専門で。なっちゃんがジャマイカに戻った後に役所へ提出する書類関連とか、経理を主に担当しています。あとなっちゃんとか周りの人がやりたいと言ったことを支えていきたいですね。うちも思いつきはするので、そのアイデアをなっちゃんにも伝えつつ決まったことをサポートしつつ。仕事で文章の添削とか会社の発行物とかも多いから、そういった分野でも力になれたらなと。
なんかやっぱりどこにおっても、レゲエとか。レゲエじゃなくても知ってる曲ばかり聞こえてくるんっていうのが、知っている好きな曲ばかりはいってくるのは楽しかったかな。日本だとコンビニでもアイドルの曲とか、全然好きじゃない曲とかが自然に耳に入ってくるやんか。そういうのが全然なくて。常に好きなものみたいな。
あとブルーマウンテンにも行って、ただの山なんやけど日本とは全然違って、マンゴーが落ちててバナナがなっているとか。ほんまに山のものを食べてみんな生きてるんだなって。そこで採ってきたフルーツが朝ごはんにあったりして。そういうところが良かったね。
リズムの取り方とか独特やし。あとは元気になるというか。ありきたりやけど。どんな時でも聞ける感じ?朝でも昼でも夜でも。聞いててリラックスできるところが好きかな。
多くの日本人にとっては本当に得体のしれない国って感じやと思うんですけど、私が行って思ったのは自然が豊かでそれが良かったのでそういうところを知ってほしいかな。
ジャマイカで一番良かったのが川下りなんやけど、2時間ぐらいかけて。浅い川をおっちゃんが5mぐらいの竹で作ったいかだで、竹一本で漕いで案内してくれるんやけど。それが気持ちよくて!ジャマイカっていうとレゲエだコーヒーだみたいなそういうところしかでてこないけど。もしもう1回行くならもう1回やりたいなって思う。海ももちろんきれいなんやけどね。
あとお土産に木彫りのインテリアの飾りを作ってもらって。それは普通のお土産屋さんのおっちゃんやったんだけど、それがすごく良くて!荷物になるから1個しか買われんかったんだけど、すごいね。その辺に座っているおっちゃんがそれを掘って、これだけ作品作ってんねやと思うと。クラフト方面でも売り方を考えたらいけるんじゃないかなって。
技術は高くはないねんけど。笑 味があるというか。日本人と感覚が全然違うから。そこをそうする?っていうデザインセンスというか美的感覚というか。独特ですごく良かった。
今私が思うのは、いろんなことができる人が自然と集まってるというか。デザイン関係もそうだし。Web関係もいたり。言葉を紡ぐ人がいたり。音楽方面ですごく人脈のある人がいたり。やろうとしていることはジャマイカの支援でピンポイントなんだけど、集まっている人の層が分厚いというか。それがすごく面白いなって思う。
翔子さんありがとうございました。