JAJA MAGAZINE

伝説のジャマイカ隊員西田さんに聞くvol.1

今回お話を伺ったのは、ジャマイカにいる日本人で知らない人はいないのではないかという、ジャマイカの伝説的隊員、西田慎さん!2004年に体操隊員として派遣され、派遣期間終了後にジャマイカへ残り、体操教室Nishida’s Gymnasticsをゼロから立ち上げた方なんです。

ひと昔前のジャマイカや、現地の子供たち、ジムが軌道になるまでのあれこれを根ほり葉ほり聞いちゃいました!

 <目次>

1、ジャマイカの体操事情

2、隊員あるある!遅刻の対処法

3、平均月給と物価事情

4、ゲットーの子供たちとの出会い

萌

西田さん。本日はお時間いただきありがとうございます。

よろしくお願いします。

西田さん
西田さん

よろしくお願いします。

1、ジャマイカの体操事情

萌

西田さんが派遣された2004年頃とお伺いしました。その頃のジャマイカの体操競技人口はどれぐらいでしたか?

その頃少なかったですよ。国に1つしか体操教室がなかったので。僕がジャマイカへ行く13年前かな、協力隊の人がやられてたんですよ。その石本先生の教室に器具も全部揃っていて。全部と言っても試合用の器具はないんですけど、一応その練習ができる程度の器具は全部ありましたね。

萌

ジムが1つしかないなかで、すでに器具がそろっていたんですね。それでもまだ体操競技の知名度は低かったと聞きました。

現地の方の最初の反応はどんな感じでしたか?

どんなことするん?みたいな。新体操とよくごっちゃにされてましたね。あれはリズミックジムナスティックスっていうんですけど、ジムナスティックスは全部女の子のスポーツというイメージがあったみたいでした。

でも説明したらわかってくれました。オリンピックでどこも出るので、体操ってオリンピックの花形スポーツじゃないですか。オリンピックにもある競技で、鉄棒の大車輪とか。っていうと湧きましたね。

練習の様子
萌

確かにオリンピックは盛り上がりますよね。ジャマイカのスポーツと言えば陸上。やはりウサイン・ボルトのイメージが強いです。昨年の東京オリンピックでは、女子100mで金・銀・銅をジャマイカで独占していてびっくりしました!やはりジャマイカでスポーツと言えば陸上ですか?

運動神経いい子は基本的に陸上やるんですよね。陸上のいわゆる陸上協会みたいなのがあるじゃないですか。国としてお金をつぎ込んでいるのは陸上協会ですね。

すごいですよ。体操協会、僕は副会長を何年かやってましたけど、年間予算100万円とかですもん。遠征1回も行けないです。びっくりしますよね。年間予算100万円でほんま何にもできないですから。

「習い事」としては一通りありましたね。ダンスがあったりチェスとか、プログラミングも最近やっていますしスイミングや空手も入っていたり。空手はびっくりするぐらいどこにでもあります。

萌

私がアフリカのザンビアにいたころは、カンフーと空手が混ざった「なんちゃって武道」を良く見かけましたが、ジャマイカも同じですか?

そんなことないと思います。先生によると思います。ちゃんとやってはるところもなんちゃってのところもあったので。

2、隊員あるある!遅刻の対処法

萌

国を問わず、派遣された多くの隊員が直面するあるある、「誰も時間を守らない!」。筆者がいたザンビアの場合は、“Around 10 o’clock”= 朝8時~12時という認識でした。私の場合はザンビアンタイムに合わせて、すっかり時間を守らなくなったダメなパターンです。笑

萌

ジャマイカではどんな感じでしたか?

ローカルの大会とかをうちでやりだしたときって、みなさん時間通り来ないんですけど、時間通りに来ないのは普通だし時間通りに始まらないのも普通なんですよ。だからみんなわざと遅れてくるとか、ちょっとぐらいギリギリに行っても大丈夫やろとかするんです。

でもうちの大会に関しては時間通りぴっちり始めて遅れてきた子は、遅れてきた分演技ができないってことにしました。最初はむっちゃ文句言われたんですけどね。途中参加はOKです。ただ体操って何種目かやるじゃないですか。鉄棒の順番飛ばされたらもう鉄棒できませんという風にしたんですよ。厳しく。

萌

それはかなり荒れそうですね。

ジャマイカスタンダードじゃなかったので、文句を言う保護者の方とかいっぱいいましたけど、ごめんなさいってめっちゃ謝って、でもダメですって。そんなことをしていたら、試合はみんな時間通りに来るようになりました。

1回それで痛い目を見た人は次から時間通り来るじゃないですか、保護者としては痛い目みたのが自分じゃなくて子供ですから。子供がメダル取れなくて泣いちゃったとか、悔しがっている姿をみたらさすがに時間通りにきますよね。

大会で順番を待つ子供たち

萌

遅刻はすぐに減ってきたんですか?

いや、減らなかったですよ。試合でも時間通りに来るようになったのいつぐらいかな。自分の教室を始めて1年目から試合はやってたんですけど、最初の数年はできなかったんですからね。7,8年ぐらいかかっているんじゃないですか。

一部は早かったですよ。選手の保護者とか、この先生の言うことは聞いた方がいいって、すぐに遅刻しなくなったんですけど、一般の方は入れ替わりもあるので、習い事として週1回とかやる子は1年やって2年やってまた新しい子が入ってきて辞めてっていう。ずっと同じ子を教えられるわけではないので、遅刻が直るまでは結構時間がかかりましたね。

萌

赴任早々に自分が時間にルーズになってしまった私としては、耳が痛いお話です。同僚の先生方の遅刻癖を直すにもまた試行錯誤されていたんですよね。

そうですね。先生も時間通り来なかったので結構大変でした。でも先生の場合は早かったですよ。気づいたんです。日本語ではなんていうのかな。賞与と減給ですか?ボーナスとペナルティーみたいな感じで、日本でやったらブラック企業って言われるんですけどね(笑)

もともと(大会の日は)ボーナスを1万円ぐらいあげるんですけど、遅刻をするとそこから減っていくシステムです。遅刻したり、当日ギリギリになって来れませんって言ったりとか、要するに教室として困ってしまうようなことがあった時は、リダクション(減給)ですよね。逆にやってほしいことはしてくれた時はボーナスみたいな感じで、どんどん足していくみたいな。このシステムにしたら1発で遅刻はなくなりましたね。ただこれに気が付くのに3年かかりました。

最初は熱く語ってみたり諭すように言ってみたり、ちょっと怒ってみたりいろいろしたんですけど、なんにも効かなかったですね(笑)

西田ジムのコーチ陣

3、平均月給と物価事情

萌

諭すのはなかなか難しそうですね。1日のボーナスが1万円というのはかなり高給なのではないでしょうか?西田ジムの皆さんは職があるということで、生活は安定している方ですか?

安定しますよ。安定しているといっても日本の安定とは程遠いですけど、ジャマイカってそもそも物価と給料のバランスがむちゃくちゃ悪くて、だからたぶん治安も悪いんです。日本円で言ったらどれぐらいなのかな、例えば公立の学校の先生とか警察とか公務員の初任給が5,6万ジャマドル。で、その当時は1ジャマイカドルは1円ぐらいだったんですけど、今は1円が1.4とか5ジャマとか、だいぶ減っているので、月給5万円いかないと思います。物価は日本と変わらないどころか、ものによっては日本より高いですから。

萌

日本の物価で、月5万で生きていくのはかなり厳しいですね。ジャマイカの物価について詳しく教えていただけますか?

国民の45%ぐらいがゲットーに住んでいるといわれていて。むちゃくちゃお金がないんですよ。日給1000円とか。9時21時で働いて1000円しかもらえないんです。

でもね、ファストフードのコンボ(セット)とかあるじゃないですか、ちゃんと500円とか600円するんですよ。だからみんな究極のその日暮らしなんです。普通に働くなんてばからしいから、悪いことでお金を稼げることがあったらみんなたくさんやるんですよ。ちょっと麻薬を海外にもっていったらお金バーンってもらえちゃうので。逆の立場だったら、しかもちゃんと教育受けてなかったらどうなるか分からないですよね、自分だって。

萌

治安の悪さに賃金の安さと、島国であるが故の物価の高さが影響しているんですね。

途上国のモデルケースみたいな感じです。お金持っている人はめっちゃ持っているんですよ。オールインクルーシブホテルを4つも5つも経営してます、みたいな。そんな子らが結構体操教室来たりしますね。かと思えば日給1000円とか月給5万円とかで毎日フルタイムでやっている人らもいるので生活はキツいですよね。

4、ゲットーの子供たちとの出会い

萌

協力隊を終えて、西田さんがジャマイカへ残ろうと思ったきっかけは何ですか?

ジャマイカに残ろうと思ったのは、貧困層の現状にショックを受けたからですね。ジャマイカのスラム的なところをゲットーっていうんですが、ゲットーって治安悪いよとか、悪い人たちたくさんいるよとかそんなの聞くじゃないですか。だけど実際ね、自分の目で見てみないとなんとも言えなくて、実際に行ってみたりしたんですよ。危ないから行ったらダメって言われていたけど。

ただ、お世話になっていた石本先生の教室にゲットーから練習させてほしいって外から見ていた子がいたんです。お月謝払えないので、基本的に参加はさせてあげられないんですけど、日曜日は教室をだれも使っていなかったので。日曜日に無料で教えさせてもらってもいいですかって確認して。日曜日の夕方に教えてました。礼儀であるとか、靴そろえるとか、順番守るとか教えたろ思って。

で、その子らと仲良くなったので、家に寄せてもらおうとおもってどんなとこ住んでるのかなって連れて行ってもらったんですけど、まぁなかなかすごいところでね。映画にあるような。壁がトタンで、ここ入口なん?
みたいなところがぎーってあいて。

ゲットーへと続く道
萌

厳しい環境ですね。

いわゆる映画に出てくるようなスラム街に住んでいて、その子の話では、僕が行くって言ったらお母さんがご飯作ってくれるって言ってた!みたいな。

どんな飯食わしてくれるんかなって楽しみにしていったら、食べ物がないから作れなかったってその日に言われちゃって、ちょっとチラチラみてみたら冷蔵庫に何も入ってなくて。大変やなみたいな。

その子らの話を聞いていると、「昨日の夜、家の前でタクシーの運転手がガンで殺されたのを見た。」とかね。そんな話を普通にしてくるんですよ。練習のときも、銃弾の打ったあとの薬莢を持ってきたりとか。

そんなのを見たので、帰国して教員になろうと思っていたんですけど、ちょっとなんかジャマイカでもうちょっとせなあかんのじゃないかなって、若さと使命感にかられて、正義感ですよね。体操で活躍できる選手にできたら意味のあることやなって、というのがスタートですね。日本帰って教員やってる場合じゃないなってなったんですよ。

長かったですね。15年やってましたから、終わってみたら一瞬でしたね。

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