食と現代美術vol.8に行ってきました!

我らがメンバーのカブさんが横浜での展示会に参加しているとのことで、遊びに行ってきました。

場所は、横浜からみなとみらい線で一駅のところにある新高島駅。改札を抜けてエスカレーターを上がるとそれらしきポスターを発見!
受付でチケットを買って、早速中へ入ってきいきます。

大人1人900円でした!

今回のテーマは『アートと食と街」
「食は、他の全ての文化領域を飲み込んでしまう包容力と普遍性をもっている。」(ポスターより)

ほうほう。わかるような。わからないような。と思いつつ入ってみると色々面白そうなものを見つけました。

くるくる回るフランスパンの凹凸に合わせて、瓶に入ったLEDのライトが上下したり。本の砂糖漬けがあったり、煮られた本があったり。見ただけでは「ん?」って思ってしまいますが、解説を読んでみるとさまざまな観点から食を捉えていて、その見方がとても美しいなと思ってしまいました。

フランスパンの凹凸に合わせて、LEDライトの入った瓶が上下する。

そして手が空いたカブさんのところへ!

JICAの青年海外協力隊としてジャマイカへ派遣されて、植物の専門家として派遣されていたカブさん。その頃のお話しはインタビューでたくさん伺ったので、また次回のお楽しみにしますね。

色々なハーブを説明してくれるカブさん

ブースにはジャマイカ料理の写真と、茶色い袋やジップロックに入った怪しい葉っぱと怪しい液体が入ったボトルがズラリ。笑

ジャマイカのピンクの花を集めたはちみつもありました!

ペパーミントやバジル、ローズマリーなど聞き馴染みのあるものも日本で知られているものと、ジャマイカではまた少し違うんだそう。そんな興味深いお話しを聞きつつ、食べてみてと渡されたのが、モリンガの実。

羽付きの玉の先っちょに使われているような見た目の実の殻を歯で割るとなかから白い身がでてきます。

モリンガの実

味がないなーと思って食べてると顔がねじ曲がるぐらいの強烈な苦味が。

カブさん勧められるままにお水を飲むと、今度はただのお水が砂糖水ぐらいに甘く感じるので、ほんとに不思議。水がなくなるとまた口の中が苦くなって、水を飲むと甘く感じるんです。

ちなみに1日3つ食べると身体にいいらしく、ジャマイカ人もよく食べるそう。私は1ヶ月に1粒でいいかな。そんな味でした。

ジャマイカにはメディシンマンという、薬草を調合する方がいて、日本でいうホームドクター的な立場のメディシンマンがどの家庭にもいるんだとか。

メディシンマンの弟子というカブさんにいくつか飲ませていただきました。

一番左からノニ、ルーツトニック、メディシン

最初にいただいたのが、風邪に効くという写真一番右のmedicine. これはこの日頂いた中で断トツに不味い。身体に良さそうな味でした。高熱でも頭がシャキッとしそうです。

次が真ん中の滋養強壮によいというRoots tonic。独特な香りがとても強く警戒心MAXでしたが、酸っぱくさっぱり、さっきほど癖はありませんでした。

3つ目にいただいたのがNoni.最近は日本で売られていることもあるそうですが、私は初見でした。味はブルーチーズ。うん。

その他にも美味しいハーブティーも入れていただきました。(飲んでばっかだな。)

タルシー (ホーリーバジル)、モリンガリーフ、ペパーミントのハーブティー。

ホッとひと息つける優しいハーブティーでした。

うっかり写真を撮る前に全部飲んでしまいました。左にあるペパーミントを振っていただきます。

“異文化理解”や”国際協力”と言われると堅いお話になってしまいがちですが、こういうアートや食を通して知る感じるというのは、感覚的な理解ができるのでとてもいい機会になりました!

いつもと違った視点から見られるのもまた面白いですよね。

カブさんありがとうございました。

食と現代美術vol.8は今月19日までやっています。ご興味のある方はぜひ遊びに行ってみてください!カブさんが丁寧にジャマイカハーブを解説してくれます♪

ジャマイカの障害児とむきあう作業療法士!あゆみさんに聞くvol2

あゆみさんに聞く!前半では作業療法士のお仕事やジャマイカでの活動についてお話を伺いました。前回のお話がまだの方はこちらからお読みいただけます。

後半となる今回は、ジャマイカの障害のある子供たちが置かれている状況についてよりさらに詳しくお伝えしていきます。前回に引き続きお話を伺うのは、2018年度4次に青年海外協力隊としてジャマイカへ派遣されていたあゆみさん。障害のある子供たちが通う施設を運営しているジャマイカのNGO団体で作業療法士として活動していました。

  <目次>

1、印象に残っている子供たち

2、ジャマイカ障害児の置かれている生活環境

3、卒業先の進路について

4、障害者の社会参画を進めるために

筆者
筆者

あゆみさん!では今回もよろしくお願いいたします!

よろしくお願いいたします。

1、印象に残っている子供たち

筆者
筆者

前回CBRJでは30人もの障碍のある子供たちを、スタッフ4、5人でケアしていると聞いて本当にびっくりしました。忙しい毎日だったと思うのですが、活動をしていく中で印象に残っている子はいますか?

みんなかわいい子たちだったから、とても印象に残っています。中でも印象に残っているのは、私が行ったときに既にいた3歳の男の子ですね。机の上に登って飛び降りたり、走り回ったりとか、壁にかじりついてガジガジしたりとか。とにかく動くのが好きな子でした。

それに対してスタッフのやっているアクティビティーが、その子に何かをみせてこれは赤だよ。これは青だよ。まだ赤、青に興味があるかどうかわからなかったし、長い言葉を聞くのは難しそうだなと思っていました。座れる時間も長くなくて。

遊びのアクティビティーがなかったので、スポンジのスタンピングのアクティビティー

子どもは成長するためにたくさんの感覚遊びを行って自分の体に気づいたり、外界を感じて操作していくと言われています。両手を合わせてみる、視界に入ったおかあさんや手、おもちゃを見てみる、おもちゃを振って音を鳴らしてみる、たかいたかいで揺れを感じるなど。ご飯をぐちゃぐちゃにして遊ぶのも好きですね。その子は加速や回転を感じる前庭覚とか、体の位置や動き、力の入れ具合を感じる固有需受容覚が感じにくい子で、でもそこを感じられるとすごく楽しいのかなという印象でした。

まずはその子と仲良くなりたくて、私に注目してもらうために好きな感覚の入る遊びをしました。高い高いしたり、おんぶしたり、足もって逆立ちさせたりしてました。そういう遊びをしてたらだんだん懐いてくれて。

外遊びの一場面

私に関心を示してくれるようになったから、一緒にパズルをはめるとか。そういう遊びが楽しいかなって。まだ言葉が出なかったけど、人に興味を持って一緒に遊ぶことができるようになりました。そうなると四六時中おんぶしてってくるから、急に飛び乗ってきてすごく困ったこともあったけど笑

子どもが増えて、その子になかなかかまってあげられなくて、遠くから見ているようになったこともあったんだけど、段々とそれも受け入れられるようになって。

お母さんがことばが出てほしいということをずっと言っていたので、まね遊びをしようと思って、食べ物のカードを持っいくと本人が自分から食べる真似をしてくれました。そうしていると口の動きもまねできるようになってきて「ぷ」の音を一緒にやったりしていました。彼は私が活動を始めたときから来ていたので、1年ほど成長を見られてうれしかったです。同僚にも今日はこんなことができてと報告していました。

筆者
筆者

慌ただしい日々の中で子供たちの成長が見られるのは、作業療法士の特権ですね。その子にとっても、くるくる回ったり、おんぶしてもらった時の浮遊感とか自分の感覚が満たされる遊びは楽しかったんだろうなーと想像できます。なんで子供の頃はあんなに走ったり、ジャンプしたりしていたんですかね。自分でも不思議です笑

筆者
筆者

CBRJでは彼らの成長と個性に合わせて、色々な遊びや活動をできるそうですが、ご家庭ではどんな環境で過ごしているのでしょうか?障害のある子供たちにも、貧困の問題はかなり影響してきますよね。

2、ジャマイカ障害児の置かれている生活環境

貧しいかどうかは分からなくて、私のとこに来ていた子たちは車があったり、ちょっと遠くでも送ってもらえるような子たちだったから、すごく貧しいかといわれるとそうではないかもしれません。お金持ちでもないけど。

タクシーに一人で乗れる子は運転手に預けられて乗り合いタクシーできます。お家が遠くて、タクシー代を出すのが大変だから週に3回しか来れない子とかはいましたね。

子どもによっても差があって、持ってくるおやつとかで、フルーツを持ってくる子は恵まれてるなとか(栄養を考えてフルーツを買う経済力がある)、大体はすごい色のついたスナックなので。あとは、学校が指定した教科書とかクレヨンとかは家庭で用意してもらうんだけど、持って来れる子ともって来れない子といるから、そういうところに差はあったかな。

主に肢体不自由の子が過ごす場所

私がいた地域でも、明らかに障害者に意地悪したりとか、障害者がいるから悪魔が付いたんだみたいな迷信は聞いたことないです。でも親に対するアンケートの中で、「身ごもった時に障害のある子を見たから障害を持った」って項目があって、スタッフに聞くとそういう迷信があると教えてもらいました。

学校で受け入れてもらえないのは単純にマンパワー不足なのと、あとはどうやって教育していいか分からないという感じはありましたね。

でもCBRJに来られる子がいる一方で、昔家庭訪問をやっていたときに、スタッフが関わっていたおうちを訪問させていただけたことがありました。マンデビル周辺から車で少し行ったところにある家に住んでいる、主に知的にも身体的にも重度な13歳から26歳の子どもや大人のいる家庭をいくつかスタッフと訪ねたのですが、家の前が急な坂道や、家まで入るのに車の通れない狭い道を通らないといけない家もあって、外に出るのが物理的にも難しいんだろうなと思いました。イベントで知り合ったお母さんで息子が17歳だけど一度も学校に行ったことがないという人に出会ったこともありました。

家庭の事情でいうとジャマイカだけに限らないかもしれませんが、家庭の子どもの受け止め方がうまくいっていなくて、兄弟と比べられて、おまえはできないといわれていたりして、とても傷ついている様子で、それがセンターでも癇癪という行動に出てしまっている子がいました。

もう一人の子は、普通学校に行っていたけれど、学校でうまくやっていけないからと連れて来られた子がいて、詳しいことはわからないけれどいつもお腹をすかせてセンターに来て、大人の気をひくためにわざと困ることをする子がいました。困ることばかりするけど、帰るのはすごく嫌がる。

勉強についていけるかいかないかより、家庭環境がうまく機能していなくてそれが行動にも影響を与えているんだろうなと思っていました。

2人とも6,7歳くらいの子で、この子たちは機能的な障害は他の子に比べて重くないけれど、社会に出てきたときに犯罪に巻き込まれたりしないかとか、この子たちはどうなっていくのかとかいろいろと思っていました。コロナ禍の学校が閉まっている状況下でも一番気になっている子たちです。

クリスマス会

一方で国からは保障されていなくても、助け合いの精神が根付いているなと感じたこともあります。

自分の子じゃなくても育てられない子を預かって育てていたりとか、障害を持っている子を自分の家で何人かお世話している人もいて、コミュニティの外で過ごしているのを見かけないだけで、コミュニティの中で助け合って生活しているのかもしれません。本当に家から出られない人は、地形的にもでこぼこの奥まったところに住んでいたりするので、地域差も多いかと思います。

筆者
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ジャジャでお世話になっているテーラーのユリさんも養子として大切に育てられたと伺いました。地域で子供を育てていったり、困ったときはお互いさまで協力しあえたりする、温かい国なんですね。

途上国あるあるかもしれないのですが、良くも悪くも自分と他人、自分の家庭と他人の家庭の境界線が限りなくゼロに近いんだなと感じることは多いです。そしてそれが外国人でも分け隔てなく接してくれる優しさがありますよね。

筆者
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そして気になるのが、子供たちの卒業後の進路です。

ジャマイカでは障害のある方の働き口はどれぐらいあるのでしょうか?

テーラーのユリさん(一番右)、養父母のアンドリューさんリサさんご夫妻

3、卒業先の進路について

障害のある方が働く場所はほとんどないのが現状です。

首都のキングストンであれば、特別支援学校のなかに作業所があってアクセサリーを作っていたりもしますが、行けるのは一握りの卒業生10人ぐらいです。他にも聴覚障害の人が働いているカフェ、デフキャンコーヒーもありますね。

政府のプログラムとしても職業訓練があって、トレーニングや実地訓練合わせて6ヶ月のプログラムなんだけど、訓練した後に行く場所があるわけではないんです。スーパーとかレストランとかで知的障害の子が働いているのをチラッと見かけたことはあるけど、たぶんそのプログラムなのかな。他の隊員に聞いた話では、親がお金持ちだと、身体障害があっても知的にそこまで低くなければ働いているっていうこともあるみたいです。だけど全体としてはほぼ行くところはないですね。

筆者
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日本だと障害者雇用促進法もあって、事務職やSE、デザイナーや工場内作業とか健常者とあまり変わらない雇用環境が整っていますもんね。それはそれでまだまだ制度に問題があったりもするのかもしれませんが、少なくとも、障害のある方と社会の接点はジャマイカよりも多くあるのかなと感じました。

筆者
筆者

では、ジャマイカで障害のある方の社会参画進めるためにはどうしていくべきだと思われますか?

4、障害者の社会参画を進めるために

答えはジャマイカの人たちの中にあると思っています。

日本は卒業したら行くところがあるけど、だからと言ってすべてが上手くいっているかっていうとそうじゃない気がしていて。日本の場合、マジョリティー(多数)の意見が優先されてしまうので、どっちかというと病気の予防とかアンチエイジングとか。障害にならないことが良しとされている感じがします。

多様な選択肢やチャンス、価値を一つのものさしではからない社会の寛容さがあればいいなと思うのですが。日本もいろんな意味で模索しているところもあると思うし、文化も状況も違うので、日本をすべてモデルにするのではなくて、ジャマイカなりの方法を模索する必要があると思います。

マンデビルの市場

ですが、言えるとしたら2つあって、財源が少ない。ということと、障害者というのがジャマイカの中では保護される対象になってしまっているのかなと思います。一人の人として自分の意思があって、自分の生活があって、こんなことがしたいんだ!っていうのが言えない状況なのかもしれないなと・

どう社会参加を進めていけば良いかは分からないけど、アメリカや日本では最初は何の保証もないところから当事者の人が頑張って、“自分たちには自分たちの意思があるんだ”という活動を経て勝ち取ってきたから今の法律とか福祉があるのだと思います。

だけどジャマイカにはそういう考えがないんです。

筆者
筆者

社会や色々な人と触れる世界が少ないから、障害者の方の住む世界が小さすぎて、選択肢として「自分たちの権利を勝ち取っていこう」というアイデアが出てこないということですか?

そういう考え方もあるかもしれない。昨年の3月にモザンビークとかマレーシアとかモンゴルの障害持っているひとに関わる人たちの研修があったのですが、マレーシアでは子どものときから、セルフアドボカシーの活動を行っていくキャンプをするそうです。

筆者
筆者

ロールモデルとなる先駆者の存在は大切なんですね。障害のある方々の行動力で法整備が進んだ日本は、次の段階として、障害のある方たちに対する健常者の心の持ち方を変えていく必要があるのかなと個人的に思っています。

その人の“障害”にフォーカスする24時間テレビのような番組ではなく、健常者と同じようにその人の個性とか生まれ持った面白さにフォーカスする番組があったらいいなと。

筆者
筆者

少し話がそれてしまいましたが、最後の最後に教えてください!

ジャマイカのいいところはなんですか?

5、みんなに教えたい!ジャマイカのいいところ!

面倒だなってところはいっぱいあるけど。笑 仕事でもさっさと前にすすまないことや、こちらが伝えたいことがイメージの共有がない分伝わりにくい。それは文化の違いもあるし、相手が専門職でないローカルな人たちというのもあります。その分、小さな前進は私にとっても同僚にとってもとてもうれしいことでした。

出会った人がいい人達で、人を喜ばせるのが好きで、ジャマイカの食べ物を紹介してくれたりとか。

ジャマイカ中の全種類のマンゴーを食べなさいって持ってきてくれたりもしました。あと自分たちのことが好きで、ジャマイカのこともすごく誇りを持っていて、姉御肌な人が多いです。

いろんな種類のマンゴー、ライチ、バナナ

あんまり社会の制度がちゃんとしていない分、みんなが挑戦できるというか。やりたいことができる環境もありますね。

筆者
筆者

自分に自信があって、世話焼きで、姉御肌。やっぱりジャマイカの方々はイメージ通りのパワフルですね!

ジャマイカに戻っての活動が再開したら、またお話を聞かせてください!

あゆみさん長々とインタビューさせていただきありがとうございました。

ジャマイカの障害児とむきあう作業療法士!あゆみさんに聞くvol1

社会格差が大きな課題となっているジャマイカ。その中でも女性や子どもたち、障害者の方たちはより厳しい生活を強いられているのが現状です。今回から2回に分けて、ジャマイカの障害をもつ子どもたちが直面する現実とジャマイカの社会福祉について、ご紹介していきます。

お話を伺ったのは、代表永村の同期でもある2018年度4次隊、ジャマイカ派遣のあゆみさん!作業療法士としてNGO団体CBRJで活動されていたあゆみさんに、がっつり2時間インタビューをさせて頂きました。

  <目次>

1、作業療法士ってどんなお仕事?

2、活動先、CBRJとは

3、気になる現地での活動

4、日本とジャマイカの違い

5、再派遣したら何をする?

1、作業療法士ってどんなお仕事?

筆者
筆者

そもそも作業療法士とはどんなお仕事なのでしょうか?

医療関係のお仕事をしていない一般の方には、なかなか想像しづらいのではないかと思います。ちなみに私も全くイメージが付きません。

というわけで、改めましてあゆみさんよろしくお願いいたします!

よろしくお願いします。

作業療法の仕事は、実際に作業療法をしていても伝わらないことがあるので確かに難しいですよね。哲学としては「作業をすることで人は健康に幸せになる」といわれていて、日常生活でいうと朝起きたら顔を洗って、ご飯を食べてとか、学校に行って、仕事に行って。とかそういう作業(占有している活動、occupation)の積み重ねがその人、その人の人生を作っています。

だから、もし障害を持ってトイレができなくなれば自分の尊厳が下がりますし。その子に合わないレベルの難しい課題ばかりさせられていたり、子どもにとってもみんなができているのに自分だけできなかったら自信を失ってしまいますよね。そしてその作業も和式便所なのか洋式便所なのかなどの文化習慣の違いで、満足する作業も変わってきます。

筆者
筆者

患者さん一人ひとり違うゴールを持っているんですね。

自分の日常生活を、“作業の連続”という観点で見たことはなかったのですが、確かに小さなケガでも“いつも通りの当たり前の作業”が思うようにできなくなるだけで、ものすごいストレスを感じていました。持っている力を作業を通して最大限に引き出すことで、自分の尊厳が保てるということなんですね!

筆者
筆者

そうなるとジャマイカと日本では文化的背景も生活も全く違って、苦労したところも多かったのではないでしょうか?活動先のCBRJはどんなNGO団体ですか?

2、活動先、CBRJとは

障害をもつ子どもたちが通ってくる施設です。

私が活動していた時は、2歳から13歳の子まで。脳性麻痺、知的障害、ダウン症、自閉症、ことばの発達がゆっくりな子たちがいました。基本的にはセルフケア、特にトイレの自立していない重度な子が多かったですね。ジャマイカの学校にも特別支援学校は一応あるんだけど、トイレが自立していないと受け入れてもらえなくて。

キングストンなら障害が重くても行ける場所はもっとあるんだけど、私が住んでいたマンデビルっていう、首都から2時間ぐらいの都市には障害のある子どもたちを預かってくれる施設が少なくて、そういう子たちが日中過ごす場所として来ていました。

マンデビルの朝のまちの様子。 ここの通りに市場と服や日常品、携帯電話、雑貨などいろんな商店がそろっている。

でもちゃんとした教師の資格を持った先生はセンターマネージャーっていう施設長だけで、あとは本当に地域の子育ての経験しかない人たちがスタッフとして働いていました。

歴史はまあまあ長くて1980年代ぐらいからNGOの団体はあったんだけれども、NGOの本部はスパニッシュタウンていう昔首都だったところにあって、私がいたその支部は私が配属される半年前に再開したばっかり。お金がなくて5年ぐらい閉まっていて、教育省からお金が出てやっと再開したところでした。だからほとんどのスタッフは再開してから初めて雇われたスタッフばかりの状況でしたね。

同僚大集合!

筆者
筆者

地元の特別支援学校に行けない子どもたちにとっては、外の社会に関われる貴重な場所なんですね!再開したばかりの施設に、経験の浅いスタッフ。。なかなか厳しい状況が伺えます。

教育省からお金がでてというお話でしたが、運営資金はすべて教育省からでていたのですか?

スタッフの給料自体は教育省から出ています。それが出るようになったから、たぶん再開できるようになったのかな。それ以外は寄付から成り立ってる部分が大きくて。デジセルっていう携帯の会社が、デジセルマラソンみたいなイベントをしたりして、参加費とか協賛のお金を集めて分配してくれます。

Digicel マラソン 夜開始だったので真っ暗です…..

そういう企業から寄付があるのと。ジャマイカはすごく貧富の差があるから、お金持ちの人が寄付をしてくれます。お金持ちの人たちは身につけているものが全然違います。あとは教会からの寄付ですね。

そんなに高くはないんだけど、子どもの家族から徴収する教育費とか。最初入るときに、聞き取りをして子どもの今の発達レベルを聞くアセスメント料と、学期ごとの授業料もあって、それでやっと成り立っていました。

筆者
筆者

政府に企業に教会まで支えてくれる場所が多いのはとても素晴らしい環境ですね。筆者がいたアフリカのザンビアだと、「給料が未払い→仕事のモチベーションが上がらない→売り上げも上がらない→給料が支払えない」みたいな悪循環に陥っているところはとても多かったので。スタッフの給料がきちんと確保されているというのはとても大切なことだと思います。

筆者
筆者

具体的にはどんな活動をされていたんですか?

3、気になる活動内容

なる現地での活動

子どもの数がものすごく多くて、なかなか大変なところもありました。

再開したばかりだったのもあって、私が赴任した時は子どもが5人しかいなかったんだけど、いろんな人が広めたりとかスタッフも宣伝したりして、9月の新学期には30人ぐらいになって。なのにスタッフが5人ぐらいしかいない状況でした。

重度な子が多いから、ご飯食べさせたりオムツ替えたりに時間が取られるし。逆に動けるけれども走り回ってる子もいるから。最低限ご飯はあげるし、オムツは汚くならないように頑張るけど、もうそれでへとへとみたいな感じでしたね。最初は。なんとなく成り立っていました。

資格もないというのもあるし、いつ何するかの枠組み、誰が何をするかも全然決まっていなくて、このだいたいのスケジュールも子どもが増えて4ヶ月後くらいにやっと定着していきました。

みんな大好き!おやつの時間 
photo by たかのてるこ

筆者
筆者

障害のタイプも色々ある2歳~13歳の子どもたちを5人のスタッフでみていたんですか!?

カオスな状況が目に浮かびます。それだけでも脱帽ですが、施設以外でも色々活動されていたんですよね?

そうですね。その施設だけを見ていたら、ジャマイカに求められている作業療法士像とか、その子たちにとって必要なことが見えてこないような気がして、地域に行って、施設が地域にとってどんな役割を担っているとか。子どもたちが社会参加をするために、今学校に入れてもらうためにはどんな要素が必要かとかを知りたかったんです。

それで首都にある障害者登録を管轄している労働省に行って、CBRJにいる重度の子たちが、卒業したあとに行く場所だったりとか、障害者に対するサービスの詳しい条件を聞きに行ったりしていました。

地元の小学校

マンデビルの地域にできたばかりの障害児のアセスメントセンターがあって、そこではどんなサービスを提供しているかを見に行ったりとか。一般の幼稚園(ベイシックスクール)や小学校で子どもたちが求められている作業スキルを確認したり、先生が障害を持った子どもたちにどんな考えを持っているか聞きに行ったりとかもしていましたね。

筆者
筆者

作業療法士のお仕事についてのお話であったように、子どもたちが置かれた文化的背景や環境を知ることがとても大切なんですね。それにしてもあれだけ毎日の仕事が忙しそうなのに、施設の外でもアクティブに活動されていたことが尊敬です。

活動をしていくなかで、どんなところで日本とジャマイカの違いを感じましたか?

4、日本とジャマイカの違い

日本だと子どもは遊ぶもの。って感じだけど、ジャマイカのベイシックスクール(4~6歳の子が通う幼稚園)は読み書き計算ができるようになるための勉強をするところという印象でした。

滑り台1つ滑るにしても数字のカードを渡されて、1番のカードを持っている子は滑っていいよって言われるけどまだ数字が理解できていないので、この子たちにとって難しいことをしているなと思いました。

地元の幼稚園

他にも先生の言うとおりにやらなきゃいけないことが多いかな。工作をするときもヤム芋(紙で?)を作るときに、もう芋の形に切られていたり、絵の具で色を塗るんだけど、絵の具の量もこれくらいって渡されて、こういう風に塗りなさいまで言われて。言われたとおりにやるんです。それでもカリキュラムの目標にはクリエイティブ、創造性を養うって書かれてました。笑

先ほどのお話ともかぶってくるのですが、生活とかをイメージするのに、前提が日本と違うのでそこは難しかったです。寝るのはお布団ではないし、土足の文化だから床でハイハイするのも限られた場所で。

ジャマイカの人のスタンダードが分からないから、それを飽くなく探求していました。

筆者
筆者

絵の具の色も、塗り方も指定されて、クリエイティブを養うのはなかなか難しそうですね笑

幼稚園児は思いっきり遊んだほうがいいのか、勉強したほうがいいのか、どちらが絶対に正しいというのはないと思うのですが、個人的には幼稚園の時に勉強しなくてすんでよかったなと思います。体を使って全力で遊べる時間は、人生の中でそんなに長くないですからね。

筆者
筆者

今後、コロナが終息したら再派遣も考えているとお伺いしました。現地の戻ることができたらどんな活動をしたいですか?

5、再派遣したら何をする?

お世話になった同僚とその娘さん、よくCBRJに遊びに来てくれて日本のことを興味を持って聞いてくれました。

具体的には戻ってから考えようとも思っています。

でも活動中はセンターでの活動に一生懸命で、子どもを連れてきてくれる親とたまにおしゃべりするぐらいで、親にその子の持つ力を伸ばすためにどんなことに取り組んでいるか、家でどんなふうに過ごすとそれが生かせるか、その子に何が必要かとかをきちんと伝えられずに帰ってきてしまったことが心残りです。

あとまだ学校が再開してないのでずっと家にいて、親と関係がうまくいっていない子どもや、家庭環境が複雑で子どもとして必要な世話を十分に受けられていない子も中にはいたので、とても気になっています。

なので再派遣ができたら、家庭訪問をして、家庭の状況とかを知って、もう少し子どもと家族に向き合うこと。できたら自分の配属先の中だけではなく、コミュニティーの情報を集めたり、JICAの研修で知り合ったジャマイカの人たちと協力して、セルフアドボカシー(支援される立場ではなくて、自己決定を行う主体であることを主張し実践していく権利擁護の活動)の取り組みも行ってみたいなと思っています。

でもまだ再派遣されるか未定ですし、そのときに自分の状況が整っているかもわからないし、状況も変わっていそうなのであくまで想像ですね。

筆者
筆者

戻ってからもやることがたくさんありますね!日本だけでなく世界のコロナウィルス感染症が1日も早く終息することを願っております。

今回は、作業療法士は何か?というところから、あゆみさんのジャマイカでの活動やジャマイカと日本の違いについてお話を伺いました。次回はさらに具体的に、障害のある子どもたちが置かれている状況や、あゆみさんの生徒さんたちについてお話していきます。

お楽しみに!

リンコップジャジャが新たに取り組むプロジェクト 「ジャマイカで障がいがある人たちの居場所を作りたい!」

<目次>

1迷い「何をどうやって始めれば・・・」

2、ポートランドで見た「やれば出来る」

3、問い「ナツミさん、本当は何がしたいんですか?」

4、ローレンス先生とバーネット校長の悲しみ

5、喝「そんなもん、誰かが始めな始まらへん」

1、迷い「何をどうやって始めれば・・・」

筆者であるNPO法人リンコップジャジャ代表の永村は、2021年1月にジャマイカに渡航し、半年間の活動を終え、7月に帰国しました。前半の3か月間は、これまでブログ等でもご紹介していたように、主にフェアトレード事業に力を注ぎました。

ジャマイカの職人さんと商品づくりに取り組んだり、買い付けをしたりして、ようやく日本に送る商品が揃い、4月の頭に日本に向けて商品を無事に発送。ミッションから解放され「さて、いよいよジャジャの活動の軸となるプロジェクトを見つけなくてはいかない」と考えつつも、コロナの影響で学校が閉鎖され、人の集まりが禁止される状況で、一体どんな活動を始めればいいのか迷っていました。

私は日本で障がいがある人たちの地域生活支援をするヘルパーの仕事をしています。どんなに重い障がいを持っても地域で当たり前の暮らしを実現したいという強い思いを持つ障がい者を支援する仕事を通して、たくさんのことを学びました。

「ジャマイカで障がい者がどんな風に暮らしているのか知りたい」という思いをきっかけに、2017年にはジャマイカの障がい孤児院「マスタードシードコミュニティー」で半年間ボランティア活動を行いました。ジャマイカでは、障がいを持つ子どもは孤児院などで保護されますが、18歳を超えるとほとんど一切の社会的支援が絶たれます。現状として、障がい児を受け入れている孤児院が大人になってもそのまま障がい者を受け入れており、費用は全て寄付で賄われています。マスタードシードコミュニティーにもたくさんの大人の障がい者が暮らしていますが、あくまで「保護」されている状況で、残念ながら入所者が社会とのつながりを持つことはほとんどありません。

ここで記しておきたいのが、マスタードシードコミュニティーは「どんなに重い障がいの子どもでも受け入れを拒否しない」というポリシーを持っており、彼らが拾わなかったら救われなかった命がたくさんあるという現実です。政府からの補助がほとんどない中、誰にも受け入れられない小さな命を繋げているマスタードシードコミュニティーは、ジャマイカの人たちからも敬意を示されています。逆に言えば、孤児院が障がい児・者の命を一手に引き受けなければいけないくらい行政からの支援がほとんど皆無であるということで、これは一部の先進国を除く大多数の国々で見られる現象なのではないかと想像します。

介護スタッフの仲間と。2017年Mustard Seed Communities

2019年から青年海外協力隊員として派遣されていた時も、障がいがある子供が通う学校を訪れていました。そんな風に私は、数年前から、いやもっと前から、「ジャマイカで障がい者のことやりたいな」という思いをぼんやりと持っていました。しかし、日本とジャマイカでは状況が全然違います。ジャマイカには社会保障制度が少なく、日本にある生活保護、国民皆保険制度、介護保険制度や障がい者福祉制度など、無いものを挙げればきりがありません。逆境に屈せずどんな時でも生きる楽しみを見つけるジャマイカの人たちに魅了され続ける一方で、ジャマイカの社会にある様々なニーズに対する気づきも増え、特に障がい者に対して社会の受け皿がほとんどないことがよく分かってきました。ジャマイカには、低い賃金と高い物価のアンバランスに生活を圧迫され、今を生きていくのがやっとという人がたくさんいます。そんな社会では「障がい者の権利擁護」や「重い障がいがあっても地域で生きる」というようなことがものすごく遠い世界に思え、何をどうやって始めたらいいのか分からず、悩んでいました。

2、ポートランドで見た「やれば出来る」

ジャマイカで約5年間活動された古田優太郎さん

元青年海外協力隊員の古田優太郎さんという人がいます。数学の教師としてジャマイカの東部、美しい自然を誇るポートランドという地域に派遣され、隊員としての活動を終えてからも現地に残り、子どもたちの教育に関わっておられました。

ジャマイカに可能性を見出した古田さんは、現地で塾を開講することを決めます。教育にお金をかける余裕のある家庭をターゲットにビジネスを起こし、その利益で経済的に恵まれない子供たちにも教育支援をしようと考えたのです。初期費用はクラウドファンディングで募り、見事目標金額を達成した古田さんは、着々と準備を進められていました。

ところが、コロナが全てを変えました。経済的に余裕があった家庭ですら教育にお金をかける余裕がなくなり、塾ビジネスの続行が不可能となります。ジャマイカで活動を続けることが難しいと判断した古田さんは、クラウドファンディングで集まったお金を「本当に今必要とされていること」に使ってから帰国しようと決意されました。

ジャマイカではコロナウイルスの影響で2020年3月から学校が閉校し、オンライン授業に切り替わりました。しかし、インターネット環境が無い、タブレットを持っていないなどの理由からオンライン授業を受けられない子供たちがたくさんいます。この事に関しては前回のブログでも述べています。

「ジャマイカの学校、コロナ渦で1年半閉校か?」

古田さんは、教育機会を奪われる子供たちに勉強を教えることを決め、使われていない校舎を利用して子供たちを受け入れ始めました。クラウドファンディングのページで、その思いについて書いておられます。

https://readyfor.jp/projects/jamaica/announcements/131699?fbclid=IwAR3BkC5Y2K6amKY0HOYDNNpAozU3SQup7VykQxlv4NeQbB5bP3aqCAnWYI0

古田さんが最初に使っていた空き校舎

最低限の読み書きや計算が出来ることは生きていく上で直接役に立つスキルです。しかし勉強をする理由はそれだけではなく、物事を順序立てて考えたり、結果を予測したり、状況を分析したりする力は、特にジャマイカのような経済的に厳しい国では、将来安定した生活を送るために不可欠な能力であるように思います。

そして何より、取り残された子供たちが再び教育機会を与えられることによって、自分たちにも学ぶ機会があるんだと子供たちが感じられたこと、自分の子どもに手を差し伸べてくれる人がいるんだと親たちが感じられたことは、素晴らしいことです。コロナによって当初のプロジェクトがとん挫してしまったとしても、古田さんが奪われた教育機会を与え直すことで、ジャマイカの子どもたちや親たちに「希望」を与えたのだと思います。

ご本人は塾ビジネスと教育支援の計画が途切れてしまったことを非常に残念に思っておられましたが、彼の臨時学校の様子を目撃した筆者は「物事が起こるのには理由がある。古田さんはこの子供たちに必要とされているから、今ここにいるんだ」と思いました。そして、挫折するのではなく、今自分に出来ることに臨機応変に取り組み、短時間である程度の形にまとめ上げた古田さんは「やれば出来る」という言葉を体現しているようで、筆者に大きなショックと感動を与えました。

3、問い「ナツミさん、本当は何がしたいんですか?」

古田さんの活動拠点ポートランド

古田さんの活動で素晴らしい点は、立ち上げた教育拠点がサステナブルな運営方法を採用しているところです。貧しい家庭の子どもにはチャリティーで教えますが、基本的には1日500ジャマイカドル(400円程度)の授業料を徴収することで、ジャマイカ人の先生たちにお給料を払うことが出来ています。また、自分が帰国した後もジャマイカ人によって拠点が運営されていくように書類等も整えたそうです。古田さんが今年5月に帰国した後も、彼が立ち上げた臨時の学校は仲間によって運営され、子どもたちが通い勉強しています。

外国人ボランティアが帰った途端に全てが元通りになってしまう、というのが国際協力活動で多く見られる「失敗あるある」ですが、古田さんがジャマイカに残した学校は現地の人たちに引き継がれており、国際協力のモデル事業のようです。

そしてそのことは、「障がい者のことやりたいな。でもお金がないな。政府にも支援策がないな・・・」などと出来ない理由を並べ諦めていた筆者の目を開かせました。彼が立ち上げた臨時学校を視察している時、筆者の腕にはずっと鳥肌が立っていました。感動する気持ちに加え「すごい、やれば出来るんだ!」と勇気が湧いてくるようでした。

オンライン授業を受けるために親の職場のWi-Fiを利用する子供も少なくない

学校の視察を終え、古田さんと食事をし、お話をしていた時のことです。古田さんが筆者に突然「ナツミさんは、本当は何がしたいんですか?」と聞きました。

「え、・・・」

もちろん、現在行っているフェアトレード事業にはやりがいや情熱を感じています。しかしこのフェアトレード事業はNPO法人の収益事業となるべく事業で、その収益事業から得た収益を別のプロジェクトに使えるようになることがNPO法人リンコップジャジャの目指している形です。

私は言葉を詰まらせた後、こう答えました。

「わたし、やっぱり障がい者のことやりたい。」

「でも、ジャマイカには日本みたいに行政からの支援もないし、お金も無いし。私もジャマイカに住んでいるわけではないし・・・」

古田さんは言い訳を並べる私の言葉を遮りました。

「住むとか住まないじゃないと思いますよ。ナツミさんが本当に何をしたいのかが伝われば、支援したい人が必ずたくさんいると思う」

うむ、返す言葉がない!!!

彼の拠点であるポートランドを離れてからも、「ナツミさん、本当は何がしたいんですか?」「住むとか住まないとかじゃない」という言葉がずっと頭にリフレインしていました。

「ナツミさん、本当は何がしたいんですか?(古田さんの声)」

「私はジャマイカで本当は何がしたいんだろう?

私は昔からジャマイカで障がい者のことがやりたいとは思っているよな・・・

でも、社会資源や行政からの支援が少ないジャマイカで、そんなこと出来るのか・・・」

悶々とし、考え、筆者の気持ちは揺れ動いていました。そしてその気持ちは少しずつ

「できる。やれば、できる。古田さんが出来たんだから、私にも出来る。」

という前向きな気持ちに切り替わっていきます。

4、ローレンス先生とバーネット校長の悲しみ

ローレンス先生と

「何か出来るかも」というポジティブマインドに切り替わった筆者に、今回の滞在で残された期間は2カ月でした。やると決めたからには今すぐ動き出さなければ。

そんなわけで早速、青年海外協力隊員時代に通っていた知的障がい児が通うスペシャルスクールの先生と、聴覚障害児が通うろう学校の校長に会いに行きました。彼女らに自分の気持ちをぶつけてみることにしたのです。

「協力隊として活動している時から思っていたことではあるけれど、障がいを持つ学生は学校を卒業した後はどこにも居場所が無いですよね。障がいを持つ人たちが社会との繋がりを絶たれ家で引きこもっているしかないという状況を変えたい。わたし、ジャマイカで障がい者の居場所づくりをしたいと考えるようになりました。」

こう話す筆者に、スペシャルスクールのローレンス先生は言いました。

「私は2014年にJICA(国際協力機構)が行う訪日研修に参加して、日本の社会福祉についてたくさんのことを学びました。その学びを活かし、ジャマイカに障がい福祉の仕組みを取り入れることが目的でした。けれど、実際にジャマイカに帰って来ると状況があまりにも違います。何を始めるのにもお金が無いのです。」

そしてローレンス先生は、自分が教えた生徒に対する思いをこう語られました。

「私が担当した子供たちは、みな一生懸命に学校で学び、様々な社会的スキルを獲得します。学校で友達も出来て、社会性が身に付くのです。ところが学校を卒業した途端に彼らの居場所はなくなります。就職できる子はほんのわずかで、ほとんどの子どもたちは家に引きこもるしかなくなるのです。社会とのつながりを絶たれ、引きこもりになった結果、精神的にも不安定になる子もたくさんいます。本当に悲しくて…。」

“Natsumi, it’s very very hard.”

「ナツミ、本当に辛いのよ。」

ローレンス先生の話を聞いていると、彼女の深い悲しみが私の心にシンクロし、お互いに泣き出しそうなくらいでした。

ローレンス先生が教えている子供たち Edgehill School of Special Education

ろう学校の校長であるバーネット先生は、「ジャマイカに障がい者の居場所がありません。どうしてできないんでしょうか」という私の問いに、

“Because people are not interested. They don’t care.”

「だって、世間の人は障がい者のことなんて興味ないじゃない。どうでもいいのよ。」

と即座に答えました。その時のバーネット校長も、本当に悲しそうな顔をしていました。彼女の深い悲しみには社会への憤りを含んでおり、そのやるせない思いが私の胸を突き刺しました。愛情と信念を持って一生懸命指導した自分の可愛い教え子たちが社会から無視されている現実に、彼女はずっと向き合ってきたのです。

「就職できる障がい者なんてほんの数パーセントでしょう。残りの大多数の人たちには社会に自分を受け入れてくれる場所がひとつも無いの。ひとつも。」

ローレンス先生の話を聞き、さらにバーネット校長の話を聞き、「これはもう『ジャマイカで障がい者支援をするのはまだ早い』なんて言い訳をしている場合ではない」と思うようになりました。先生たちが向き合う悲しみや憤りが、後に掲げる「NPO法人リンコップジャジャの活動の柱は、ジャマイカで障がい者の居場所を作ることである」という大きな目標の輪郭を形成したのかもしれません。筆者は「なんで私はもっと早くに話を聞きに来なかったんだ」と、言い訳を重ね、行動を起こさなかった自分を悔いました。

5、喝「そんなもん、誰かが始めな始まらへん」

わたしの大好きなダウン症を持つKさんは大阪で長年自立生活を送っておられる。2015年夏

思い悩んだ筆者は、障がい者運動に長年携わっている両親に電話して、自分の気持ちを話しました。

障がい当事者である母は「そんなもん、誰かが始めないと始まらへんやんか、何も。」と一喝。「日本だって、重度障がい者が地域生活してるのなんて最近のことやんか。3、40年前は日本にだって障がい者の制度なんて無かった。障がい者と支援者が一緒になって作り上げてきたんやんか。」母は1970年代からずっと障がい者運動に関わっています。日本の障がい者がアメリカの障がい者運動から刺激を受け、ヨーロッパの障がい福祉政策を学び、当事者と支援者が力を合わせて日本の障がい者支援制度を作り上げてきたことを、身を以て知っています。

奈良県で知的障がい者の支援をしている父も、彼の地域で活動拠点が出来るまでの道のりを、順を追って説明してくれました。「国の規模や政策が違うから、日本で起きたことをジャマイカがそのまま辿ることは出来ないかもしれないけれど、日本の障がい当事者がジャマイカの障がい当事者をエンパワーメントすることはできる」と話しました。エンパワーメントとは、個人や集団が本来持っている潜在能力を引き出し、湧き出させることを意味しており、障がい者の世界では「抑圧によって失われていたその人本来の力を取り戻すため、後押しする」というような意味で使われます。

父も深く関わっている「ピープルファースト運動」という知的障がい者の人権啓発運動があります。「知恵遅れ」などと呼ばれ、排除・抑圧されてきた知的障がい者が、自分や仲間の権利のために立ち上がる運動です。ジャマイカで改めて観たピープルファーストのDVD「みんなに伝えたいこと~ピープルファースト25年のあゆみ~」の中で、北海道に住んでおられる知的障がい当事者の土本さんがピープルファースト運動を始めたきっかけを問われる場面があります。その時彼は「まだ早いとか言い訳している場合じゃない。始めるなら今だ、と思った」と言います。この彼の言葉は、とどめの一撃のように私の胸を強く打ち、迷っていた私の背中を後押ししてくれました。まさに、ピープルファースト運動が筆者をエンパワーメントした瞬間でした。

「みんなに伝えたいこと~ピープルファースト25年のあゆみ~」

https://pansymedia.com/movie/mov02.html 

ピープルファースト運動については、知的障がい当事者が発信するオンライン番組「パンジーメディア」で知ることが出来ます。パンジーメディアについてはまた別でもご紹介しますが、この機会にぜひ観てみて欲しいです!

パンジーメディア

https://pansymedia.com/

出典:ダイヤモンド・オンライン

そのようにして、ジャマイカで教育支援を行っていた古田さんの活動や彼からの問い、ジャマイカの障がい児学校の先生たちの悲しみ、両親からの叱咤激励、ピープルファースト運動からのエンパワーメントなどが、私の「できない」というマインドを少しずつ溶かし、「やれば、できる」というマインドに変えていきました。

つづく

ジャマイカの学校、コロナ渦で1年半閉校か?

ジャマイカでは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年3月から閉校しています。実に、子どもたちは1年2カ月もの間ほとんど学校に通っていません。

新規感染者数が落ち着いた頃、試験的にいくつかの高校などが再開しましたが、その後新規感染者数が増加して再び閉校となりました。 2021年6月現在は、進学に関わる重要な試験を受ける学年などが限定的に登校し、対面授業を受けています。制服を着た学生を町で見かけるのは嬉しいものです。とは言え、完全開校の時期はいまだ不明です。

進学に関わる重要な試験を受ける学生に対して対面授業を再開すると発表するホルネス首相
出典:The Office of the Prime Minister (Posted on May 5, 2021 by OPM Communications)

普段なら毎年6月に卒業式が行われますが、現在はコロナ対策の観点から一定以上の人数が集まるイベントが禁止されているため、保護者などを招く通常の卒業式は昨年同様開かれません。

写真は2019年に筆者が参列した小学校の卒業式です。卒業生がローブをまとい、大学の卒業式のように華やかです。このローブのレンタル代が数千円するそうで、「卒業式は色々とお金がかかる!」と言いながらも、我が子の思い出のために親たちはお金をなんとか工面します。

普段のジャマイカの卒業式は、さすがお洒落大好きジャマイカ人とあって、参列者がとにかく派手です。子どものローブ代に加えて、自分が着るドレスを新調したりヘアスタイルを変えたりするのにも結構なお金をかけています。

日本人の筆者から見ると「そこまでしなくても」と思わないことはないですが、お洒落は彼らの生き甲斐のひとつのようにも見えます。父母だけでなく従妹や近所の人などもオメカシしてお祝いにやって来て、とっても賑やか。音楽大国だけあって、BGMはステレオではなく、生バンドです!

2019年6月 友人の息子の卒業式に参列した時の写真

卒業式が終わると、長い夏休みです。普段は2カ月もの間学校に通わない子供たちのために、様々なボランティアグループが「サマースクール」という学童保育を行います。筆者は青年海外協力隊員として派遣された2019年4月から2020年3月まで、学校現場で活動していました。そのため、夏休み期間中はたくさんのサマースクールに参加し、ワークショップを行いました。

信者が教会に子供たちを集めるサマースクール、地域の青年クラブのサマースクール、地域の図書館のサマースクールなど、どのサマースクールにもたくさんの子どもたちがやって来ていました。主催者の大人たちは、子供たちに有意義な時間を過ごしてもらおうと、勉強や手工芸、スポーツ大会など数々のイベントを企画していました。

地域の青年クラブのサマースクールでリサイクル工作のワークショップを行った。2019年

図書館の司書と知人だった筆者は、ある日突然「ちょっとうちのサマースクール手伝いに来て!」と依頼を受け、筆者の配属先に来ていたインターンの若者を引き連れて図書館に通うことになりました。 図書館に着いてみてぎょえっと驚きました。子どもが数人いるのかな、くらいの予想に反して、数十人の子どもがいたのです。

彼らの相手を筆者ひとりでするはとても無理でしたが、インターンのみんなが手伝ってくれてたおかげで、グループ編成をすることができ、子どもたちに様々なワークショップを提供することができました。

筆者にビシバシしごかれ時折うっとおしそうな顔を見せながらも最後までやり遂げてくれたインターンのみんなに感謝!

ところが今年は、サマースクールも行われません。新年度が始まる今年9月まで完全開校はなさそうです。となると、彼らは実に1年半もの間ほとんど通学していない状況になります。コロナ以前から、レジャーなどを楽しむ余裕のある家庭はほんの一部ですし、コロナ不況で生活は以前に増して厳しくなっているので、外出をほとんどしていない子供たちが多いと思います。

本当は先生や生徒のみんなに会いに行きたいところですが、学校が閉校しているためそれも叶いません。子供たちが置かれる状況や、ジャマイカの教育現場が向き合う課題について知るために、筆者が親しかった二人の先生たちに連絡を取り、電話でお話を伺いました。

1人目は、アレクサンドリアという山深い地域で小学校に併設される幼児園で教えているコニングハム先生です。彼女が生徒たちを「ベイビー」と呼ぶように、3、4歳の生徒はまだまだ赤ちゃんです。

筆者もそのおちびちゃんたちを相手にリサイクル工作を教えたことがありますが、本当に愛くるしい子供たちでした。コニングハム先生は筆者の質問に細かく答えて下さいました。

コニングハム先生が教えているInverness Primary Schoolでのセッション 2019年秋

― 昨年3月から対面授業が中止になり、オンライン授業に移行していますね。コニングハム先生もオンライン授業をなさっているんですか?

「はい、毎日オンラインで授業をしていますよ。でも、実際にオンライン授業を受けられるのは限られた生徒です。タブレットを持たない子ども、家にインターネットが無い子ども、住んでいるエリアにインターネットサービスが提供されない子ども、お金がなくてインターネット料金を払えない子どもが沢山います。」

― レゲエアーティストや大企業、政府などが沢山のタブレット端末を寄付したというようなニュースをよく耳にしますが、そういった寄贈はありませんか?

「残念ながら、私の周りではタブレットをもらったという話は聞きませんね。」

海外在住のジャマイカ人がジャマイカの子どもに何百個のタブレットを寄贈したというニュース
出典:Jamaica Information Service (FEBRUARY 16, 2021 WRITTEN BY: GARFIELD L. ANGUS)

― 先生が担当する生徒のうち、どれくらいの生徒がオンライン授業を受けていますか?

「3分の1くらいでしょうか。私の生徒は就学前の幼児なので、生徒のそばに家族やお手伝いさんが付いていないと授業が成り立ちません。

― 私も小さい子供が家でオンライン授業を受けているのを見たことがありますが、集中力が持ちませんね。誰かがみっちり横で付いていてサポートしない限り、オンライン授業で小さな子供を教えるのは不可能に感じました。

「特に、テストはダメですね。対面授業をしている時だって、ちょっと目を離したら子供たちは解答用紙をびりびりに破いたり塗り絵をしたりして遊んでいます(笑)。小さい子は手がかかりますからね。それに、オンライン授業では子供たちの学力が思うように伸びていないため、テストをしても子供たちが答えられない。そうすると親が代わりに回答してしまって意味が無いんです。だから、テストはやめました。」

― ジャマイカの親御さんは子供の宿題を代わりにしてしまう人が多いですね。子供の学ぶ機会を奪うつもりはないんだろうけれど、夏休みの課題の絵画なんかも代わりに描いてしまう。完璧にこだわるんでしょうか?

「出来ないことがダメだと思っているのでしょう。そうではなくて、子供が学ぶことが重要なのですが。」

学校のイベントでお姫様のように着飾るコニングハム先生の生徒 2019年秋 
Inverness Infant and Primary School in Alexandria, St. Ann

― ところで、オンライン授業を受けていない生徒がどうやって過ごしているのかご存じですか?

「分かりません。教育省が見回りユニットを出しているそうですが、私の地域には来ていません。」

― オンライン授業を受けられていない生徒の様子が全く分からないとなると、心配ですね。

「オンライン授業があるはずの時間帯に外で遊んでいる子どもも見ますしね。やることがなくて暇だと良くないことに巻き込まれるリスクも高まります。実際、学生の妊娠の報告が増えていると聞きます。」

― 深刻な問題です。他の先生もオンライン授業を受けられているのは担当している生徒の半分以下と話していましたが、この状況で子供たちは進級できるのですか?政府が1年リピートさせるような事を言っていた気がしますが・・・

「一体どうなるのか、さっぱり分かりません。子供たちは小学校に上がる時点で最低限の読み書きや計算のスキルを身に着けていることが期待されますが、今年はそれが叶わない子どもが多いでしょう。」

― そうなんですか?ジャマイカの義務教育は小学校からですよね?だけど小学校に上がる前に読み書きが出来ないといけないんですか?

「例えばHOTとかMATとか簡単な単語を理解していることが求められますね。」

― 知らなかったな。でも、このままいくと新年度が始まる9月まで全面的な開校が期待できませんよね。それどころか、万が一また新規感染者数が増加したら、また開校が先延ばしになるかもしれません。一体子供たちはどうなってしまうんでしょうか?

「政府は夏休みを一部削って学校を再開することも考えていると聞きました。」

― それは必要でしょうね。

「けれど、我々教師は休みなくオンライン授業などで働いているんですよ。休みがなくなるというのは、しんどいです。」

― なるほど、確かに。別の先生も「オンライン授業になって仕事が増えた」と仰っていました。先生たちにも多くの負担がかかっているのですね。早く子どもたちに会いたいですし、コニングハム先生にもお目にかかれる日が早く来て欲しいです。

「私もそう望みます。どうか、気を緩めることなく気を付けて過ごしてね。」

― ありがとうございます。先生もお気をつけて。

コニングハム先生が仲間の先生と共同で主催するサマースクールにて 2019年7月31日

続いて、筆者がよく通っていたEdgehill School of Special Educationというスペシャルスクール=知的障がいがある生徒が通う学校で教諭を務めるローレンス先生にお話を伺いました。

― ローレンス先生、お忙しいのにすいません。今日もオンライン授業だったんですか?

「構いませんよ。さっきオンライン授業が終わったところです。毎日朝から午後2時45分まで授業をしています。」

― なんか、後ろで子どもの声がしています。先生のお子さんですか?

「そうです。子供が二人いて、下が2歳です。」

― わ、それは大変ですね!育児しながら授業しているわけですね。働きに行かなくてはいけない親はどうしてるんでしょうか?誰かに見てもらうにしても、毎日ナニー(子守)を雇えないですよね。

「そうなんです。本当にみんな大変な苦労をしていますよ。」

― 先生の生徒たちは元気にしていますか?

「オンライン授業で顔を合わせている子供たちは元気にしていますよ。」

― やはりオンライン授業に参加できない子供もたくさんいるんですか?

「私が教えているSt. Ann’s Bay校では、72人在籍する学生のうち、オンラインクラスに参加しているのは30人程度です。参加者はひとりで参加する者もいれば、家族が付き添って授業を受ける生徒もいます。」

― オンラインクラスに参加できない生徒の安否確認はどうしているんですか?

「教員の近所に住む子供については教員が直接家を訪ねる場合もありますし、それが叶わない場合は『ガイダンスカウンセラー※』という教育指導員が直接訪ねるか、電話で安否確認を行います。」

※ガイダンスカウンセラー:ジャマイカの教育省が設置する教育支援機関で、各学校に在籍する。HIV / AIDSプログラム、学生支援プログラム、学校での健康と家庭生活教育を含むいくつかのプログラムを担当する指導協議会(Guidance Council)よりトレーニングを受けたカウンセラーが、生徒が抱える様々な問題の解決に取り組む。家庭環境が複雑な子供のケア、問題行動がある生徒の指導や支援、早期妊娠した学生のケアなど、生徒が抱える多岐にわたる状況に対応することが求められる。日本のソーシャルワーカー的存在。

― クラブ活動の方はどうなっているんでしょう?先日オンラインで年に一度の大会がありましたよね。参加されたんですか?

「もちろんです。今年は制作した作品を写真とビデオに撮って応募し、審査員もオンラインで審査します。」

― 対面授業が無いとは言え、お忙しいんですね。貴重なお時間ありがとうございました。

毎年夏に行われる農業ショーなども今年は全てオンラインイベントに縮小されていて寂しい。

まだまだ先が見えません。通学や外出が出来ずにストレスや不安を感じている子供たちのためにも、一日も早い学校の再開が望まれます。

環境保護と開発の狭間で。ジャマイカのSDGsを考える。

<目次>

1環境教育隊員としての活動

2、ジャマイカのごみ事情

3、相反し対立する住民の利害関係

4、ジャマイカの水源、コックピットカントリー

5、ジャマイカの持続可能な発展に寄与するには

1、環境教育隊員としての活動

筆者は青年海外協力隊時代、美しいカリブ海を誇るジャマイカの北海岸に位置するセントアン県(St. Ann)環境教育隊員として活動していました。「セントアン県内の100を超える学校を対象とし、巡回訪問によって環境教育活動を行う」という要請内容でした。

世界各国に派遣される青年海外協力隊員は、おおまかな要請が与えられるものの、具体的な内容は隊員が自分で調査し、活動計画を作成します。自分のやりたい事、面白いと感じる事を取り上げて活動するので、同じ要請内容であっても活動内容は十人十色です。

以前のブログで紹介したように、筆者は2019年4月に2年間の任期予定でジャマイカに派遣されましたが、2020年3月末にコロナウイルス感染拡大の影響で緊急帰国となりました。任期半分の1年を残して帰国し、その後日本でNPO法人LINK UP JAJAを立ち上げ、2021年1月ジャマイカに自力で戻ってきた経緯があります。

配属された地域の農業ショーにて 2019年11月撮影
配属された地域の農業ショーにて 2019年11月撮影

訪問先の学校で行っていた環境教育授業では、可愛いアザラシのあかちゃんの写真を子供たちに見せて「きゃーカワイイ!」と喜ばせた後、そのアザラシの首にゴミが巻き付いている可哀想な写真を見せて「ひぃー!」とショックを受けさせるのが導入の定番でした。

筆者                         「今アザラシの赤ちゃんに何が起こっていますか?」

子供たち                 「ゴミが首に巻き付いて苦しんでいる!」

筆者                         「この後このアザラシはどうなるだろう?」

子供たち                 「死んでしまうかもしれない・・・」

筆者                         「どうすればこんな可哀想なことを防げるかな?」

子供たち                 「ゴミを海に捨てない!」「ポイ捨てを止める!」

と、だいたいこんなところに落ち着きます。さらに、「ゴミだと思うものでも、使い方によってはゴミじゃなくなるよ」とリサイクルのアイデアをいくつか紹介し、その後リサイクル工作を行うのがお決まりのパターンでした。この授業は大変好評で、特にペットボトル風車作りのワークショップは子供だけでなく、時に教員をも熱中させました。

褒められることが少ないのか、筆者に褒められたくて完成品を持って来ては押し合いへし合いになる子供たちが懐かしい
褒められることが少ないのか、筆者に褒められたくて完成品を持って来ては押し合いへし合いになる子供たちが懐かしい。

ジャマイカには図画工作授業が無い学校もあり、工作そのものが刺激的で喜ばれます。ハサミなどの道具を使い慣れていない子供も多く、四苦八苦しながらも一生懸命取り組んでいました。小学校の頃、図画工作の授業が大好きだった筆者は、ジャマイカの子供たちにも図画工作の楽しみを知って欲しい、創造性を育んで欲しいという思いから、活動後半の出張授業ではほぼ毎回リサイクル工作を行いました。

新聞で兜を作るワークショップも人気メニューのひとつだった

工作の過程で特に人気だったのが絵具です。普段手にすることがない絵具を見て輝く子供たちの目が、色塗りに熱中して真剣な眼差しに変わります。この集中して取り組む時間が、子供たちにとってとても大切な時間だと感じました。

そして「ジャマイカの子どもたちに褒められる機会がもっとあったらいいのにな」と普段から感じていた筆者は「素敵だね!とっても上手に出来てるね!才能あるよ!」という具合に、子供を褒める時はベタベタに褒めます。すると子供たちは恥ずかしそうに、そして誇らしげに輝く笑顔を見せてくれました。

図書館のサマースクールでティッシュの芯を使ってペン立て作りを行った時の子供たち作品

道具の取り合いで喧嘩が起こるのは日常茶飯事で、「先生分からない!こっち来て教えて!」という声も重なり、教室はいつもカオス状態に。「みんな一回黙って説明を聞いてー!」と叫んでいるこっちの喉がガラガラになり、授業の後はいつも汗だくでへとへとでした。

それでも、自分がカラフルに塗ったリサイクルおもちゃを持って、満面の笑みで「先生見て!」と寄って来る子供たちに癒され、また翌日も別の学校に出かけていく日々が、今となっては懐かしく感じられます。

地域の教会で夏休み中の子供を預かるサマースクールに出張授業へ。カラフルに塗ったペットボトル風車に喜ぶ子供たち
地域の教会で夏休み中の子供を預かるサマースクールに出張授業へ。カラフルに塗ったペットボトル風車に喜ぶ子供たち

ジャマイカの子供たちと過ごした時間を懐かしく思い出しながら、彼らが一年以上学校に通えていないことを思うと心配です。ジャマイカではコロナウイルス感染拡大の影響で、昨年3月末から対面授業をほぼ全面中止しており、このままいけば新年度の今年9月まで開校がないかもしれません。

インターネットやタブレットを持たない家庭の子どもたちがオンライン授業を受けられず、勉強が大きく遅れていることもそうですが、複雑な家庭の子供たちの逃げ場がないのは憂慮されるべき状況です。日本同様、コロナ以後ジャマイカでも家庭内暴力や性暴力の被害が多く報告されており、中高生の早期妊娠も問題になっています。一日も早い学校再開を願ってやみません。

2、ジャマイカのごみ事情

公設市場のごみ置き場が不衛生で長年問題になっている
Brown’s Town Market(St. Ann) 出典:Jamaica Gleaner

ジャマイカでは近年、政府の取り組みなどによってゴミ問題が話題にされ「リサイクル」という言葉はわりと定着しています。しかし実際のところ、国としてのリサイクル機能はまだ十分ではありません。

例えば、ジャマイカのあちこちに山積みになってポイ捨てされるペットボトルを、政府から委託された業者が「リサイクル」を掲げて回収しますが、それらのペットボトルが圧縮され海外に売り渡され、その先どうなるのかが見えません。

清涼飲料水会社が学校単位でペットボトルを回収し、より多くのペットボトルを集めた学校に賞品や賞金を贈るキャンペーンを毎年行っており、筆者もある学校の環境クラブのペットボトル集めに協力した経験があります。

学生や担当教員が汗を流しゴミ拾い活動をすることは素晴らしい行為ですが、活動の目的が「ペットボトルをたくさん集める事」に置き換わってしまい、本来の目的であるゴミの削減には繋がっていない印象が否めなかったことは残念な点です。とは言え、キャンペーンにエントリーするために各学校が「環境クラブ」を設立し、部員によって何らかの環境保護活動が行われることは、ポジティブなアクションであると思います。

一生懸命ゴミ拾いをする環境クラブの学生たち

そもそも、日本が細かくゴミを分別し再利用できるのは、税収あってこその仕組みですから、それをそのままジャマイカに当てはめるのは無理があります。ごみ焼却施設の建設や維持は資金的に難しいため、ジャマイカでは埋め立て方式が採用されていますが、埋立地はもうどこもいっぱいで、積み上がったごみが自然発火して大火事になったり、埋立地の近隣住民から有毒ガスによる健康被害が出たりして問題になっています。

埋立地で時折大火災が起こっており問題になっている。
Riverton Waste Disposal Site 出典:Jamaica Environment Trust

ジャマイカ政府はゴミ削減のため、テレビやラジオで繰り返し生ごみや紙ごみを家庭用コンポストで自己処理するよう訴えていますが、それを採用している人は多くありません。筆者はジャマイカでは生ごみは全て裏庭のコンポストで、日本の実家では家庭用屋内コンポストで処理しています。生ごみが一切出ないので、我が家のごみの量は極めて少なく「ゴミが減って肥料が出来る、こんな得なことはない」と実家の母も大喜びですが、始めるまでが億劫なのか日本でもジャマイカでもあまり広まらないようです。

実家で愛用の家庭用コンポストセット「ル・カエル」は臭い無しで虫も湧かない。
肥料になった土を元気のない観葉植物にかけるだけでいきいきと蘇る優れもの。
出典:エコクリーン(販売元)

協力隊として派遣された当初、地域単位でリサイクルを進めることを目標に調査していましたが、色々調べた結果「システムが追い付いていない」という結論に達し、学校や地域単位での分別回収やリサイクル推奨といった活動目標を一旦取り下げました。

そして「頭の柔らかい子供たちの感性に環境保護の重要性を地道に訴えていく」という、まさに与えられた要請そのままの活動計画を立て、出来るだけ多くの学校を訪問して環境教育授業を行う活動にシフトしました。

3、相反し対立する住民の利害関係

出典:Noranda Bauxite

協力隊員時代も現在も筆者の活動拠点になっているセントアン県は、アルミ等の材料になる「ボーキサイト」の産地です。観光業に並んで、ボーキサイトはジャマイカの最重要産業で、外貨獲得の貴重な手段になっています。

ボーキサイトを採掘する際、山の斜面を深く掘り起こすため、環境保護の観点から見ればこれは自然環境を破壊する行為と言えます。そのためボーキサイト会社は、採掘後は土地を再生させ地域農業に貢献することを約束していますが、採掘に反対する人は「地中深く掘り起こした後に土を少し被せるくらいでは破壊された自然環境は元には戻らない」と言います。また、赤土が剥き出しの道路が延々と続く道を車で走っていると、採掘と採掘跡地を農地へと復帰させる行為が同じバランスで行われているとは残念ながら思えません。

出典:Jamaicans.com

2004年のThe Worthington Post紙には「採掘地や製油所から噴出するアルミナ粉塵を吸った近隣住民が呼吸困難など深刻な健康被害を訴えているが、ジャマイカ政府は粉塵と疾患の関係を認めていない」という内容の記事が出ています(“Ill Jamaicans Putting Blame On Bauxite-Alumina Industry” By Carol J. Williams /November 7, 2004)。

この記事の中で「(粉塵の)排出量と呼吸器疾患との関連性の新たな証拠は、健康被害による近隣住民の怒りの声が高まる中『ジャマイカが(観光に次いで)2番目に大きな産業を発展させるために、どのような代償を支払うのか』という疑問を提した」とあります。

負債の多いジャマイカ政府が、主要産業のひとつであるボーキサイトを簡単に手放せない状況は、想像に難くありません。過去に日本でも、水俣病やイタイイタイ病などの深刻な公害があったことは、読者の皆さんもご存じの通りです。ジャマイカでも例外なく、産業発展の裏で環境破壊や住民の健康被害といった問題が存在していることは、否定し難い事実ではないでしょうか。

最重要水源「コックピットカントリー」採掘反対の嘆願書を国会議事堂の書記官に手渡す住民
出典:The Gleaner (Published: Wednesday | September 18, 2019 | 12:09 AM Paul Clarke and André Williams/Gleaner Writers)

憶測の域を出ませんが、今これを書いている筆者は「ひょっとして、たくさんのジャマイカ人の友人知人が副鼻腔炎や喘息の持病があるのは、ボーキサイトとも関係があるのかな?」と疑問に感じています。これまでは、ジャマイカは埃っぽく、交通量の多い都市部では燃費の悪い車がたくさん走るので、埃や排気ガスの影響で気管支系の持病を持つ人が多いのかなと思っていましたが、実際のところは分かりません。一部の学者から、特にアルミナ工場の近隣住民について健康モニタリングが必要との声が出ているようですが、調査が実施されるかどうかは不明です。

一方で、地域にはボーキサイト会社の恩恵を受ける人が少なからずいます。ボーキサイト産業に関わる人はもちろん、土地の再生プロジェクトで一時的に仕事を得る人、ボーキサイト会社が出す奨学金を受けて進学する学生、助成金を受けてアートや地域振興のプロジェクトに取り組む人などがそうです。

筆者も参加した、ボーキサイト会社のイベント会場で行われた農家応援イベントNoranda Expoのポスター

現在はコロナの影響で開かれていませんが、普段は地元で地域振興イベントを頻繁に行い、地元の農家が出店料無料で販売できるファーマーズマーケット、鑑賞無料のスター発掘イベントなど様々あります。筆者自身、協力隊員時代は農家応援イベントを手伝ったり、ボーキサイト会社が主宰する担当者会議に参加したりして、深く関わっていました。

このようにセントアンでは、ボーキサイト産業を巡る住民の利害関係が複雑に絡んでいます。

Noranda Expoの会場

4、ジャマイカの水源、コックピットカントリー

出典:Jamaicans.com

ジャマイカの水の3分の2を供給する最も重要な水源地帯が、コックピットカントリーです。コックピットは、奴隷支配から逃げ出したアフリカ人奴隷たちが隆起の激しい地形を利用して避難民コミュニティを作り、今でもその子孫が指定保護地区で生活していることでも有名です。

そのコックピットがボーキサイト会社によって採掘されている事が問題視されており、環境保護団体や住民によるデモが行われたり、その様子がメディアで大きく取り上げられたりしています。レゲエアーティストや著名人もSNSなどを通して反対表明し、世論に影響しています。

コックピット採掘反対のデモの様子
出典:The Gleaner (Published :Thursday | September 19, 2019 | 12:00 AM)

コックピット採掘反対の世論を受け、2017年11月21日、ジャマイカの首相Andrew Holness(アンドリュー・ホルネス)は、議会で指定されたコックピットカントリーの境界を発表し、この約74,726ヘクタールに及ぶ土地での採掘は閉鎖されるべきであると述べました。

しかしこの土地が保護地域であるとは宣言されておらず、法律で採掘が禁止になったわけではありません。さらには、指定された保護地域から除外されたコクピットカントリーのコミュニティでは、ボーキサイトの探査と採掘が拡大していると言います。

他方、ボーキサイト会社の従業員などによる採掘反対運動に抵抗するデモも起こっています。彼らは「採掘が水源を汚染しているというのは誤報である」といった主張や「雇用を守れ」といった主張をしています。

「ノランダ(ボーキサイト会社)の従業員の99%はジャマイカ人だ」というプラカードを持つ人 出典:Loop Jamaica(LOOP NEWS CREATED : 17 SEPTEMBER 2019)

ある知人は「コックピット採掘反対デモに行こうと友人に誘われ、参加したい気持ちは山々であるが、ボーキサイト会社には何かと世話になっているので参加できない」と話しました。そういう立場の人たちが、ここセントアンでは珍しくなく見られます。

私自身、環境教育隊員として環境保護を唱えつつも、ボーキサイト会社の地域還元イベントで何度もブースを出し、地域の子供たちを楽しませるため汗を流しました。環境を守ろうとする住民と、ボーキサイト会社からの恩恵を受けて生きる住民の利害関係は、原発や米軍基地がある日本の地域でも似たような構造が見られますが、セントアンでもやはり対立する主張や立場の人たちが地域の中でリアルに混在しています。

「ノランダ(ボーキサイト会社)は私に奨学金をくれた」というサインを持つ少女
出典:The Gleaner (Published: Friday | December 11, 2020 | 12:15 AM Janet Silvera/Senior Gleaner Writer)

5、ジャマイカの持続可能な発展に寄与するには

地域のために汗を流すフォスターさん

写真に映るフォスターさんは、コックピットカントリー境界内にあるコミュニティの住人で、一部土地を保持しています。採掘跡地を農地として再生するなど、地域のプロジェクトマネージャーのような役割を無償で20年続けるフォスターさん。土地を採掘される地域住民当事者として、ボーキサイト会社とどう関っているのか尋ねると、

「トラクターの進入を妨害する座り込みをやったっていいんだ。だけど、それでは村の人たちは助からない。もちろん環境破壊に反対する気持ちはあるけれど、自分の力ではどうにもならないこともあるだろう。だから、ボーキサイト会社と交渉し、駆け引きをして、なるべくたくさんの地域還元事業を取り付けるんだ。そうすれば村の人たちが作物や仕事を得ることができるからね。

と話してくれました。理論だけでは片付かない、賛成や反対と言い切れない現実がそこにあるのだと思います。彼はこれまで、ボーキサイト採掘跡地などで農業や養蜂などたくさんのプロジェクトを行ってきました。ボーキサイト会社に限らず、UNや行政からも環境保護プロジェクトの助成金を取り付けて事業を進めていますが、自分の肥やしにするということがありません。ジャマイカの人の分け合う精神(Share)が、ここでも輝いています。

最重要資源であるコックピットカントリーを守ることは国の資源を守ることであり、ジャマイカの未来を守ることであるのに間違いはありません。「一度壊してしまったら後戻りできない。人間が自然に生かされているということを忘れてはいけない」と考えるたくさんの住民、学者、アーティストが採掘反対の声を上げています。全くもって正しい意見であると思います。

他方、セントアンに住むことで自分自身がボーキサイト産業の恩恵を受け、フォスターさんのようにボーキサイト会社から協力を取り付けて地域振興に尽力する人たちの働きを目撃します。フォスターさんは「地域に、すごく勉強熱心で成績が良いけれど、母親がシングルマザーで進学するお金のない女の子がいた。俺はボーキサイト会社のマネージャーに電話して『なぁ、俺が自分のために物乞いしないってこと、知ってるよな。でも、俺は今あなたに心から乞う。どうか、彼女に奨学金を出してやってくれ』とお願いして、今その女の子は大学の2年生になっているんだよ。成績も良いんだ」とも話してくれました。闘い方というのは、それぞれの立場で違うのだと思います。

ジャジャの闘い方とは一体何なのか。ジャマイカの持続可能な開発のあり方をジャマイカの人たちと共に探るため、コロナの影響でなかなか動きづらいのですが、手探りでも何か始めなくてはと強く感じているところです。

最大級のリスペクトをフォスターさんに送ります!Nuff Respect!

ラスタマンの靴職人が全て手作業で製作するジャマイカサンダル

昨年CHAKA CHAKAで販売し、好評だったジャマイカらしいサンダルが、今年パワーアップして帰ってきます。 サンダルを作ってくれたのは、ジャマイカの首都キングストンにワークショップを構えるシューブランドLove Drumz Sandalz(ラブドラムズサンダルズ)の「マキ」ことMilton Bonner(ミルトン・ボナー)さん。ここでは、CHAKA CHAKAとマキさんとの出会いや、今年新たに仕入れるLove Drumz Sandalzの製品についてご紹介します!

1、キーパーソン「カブさん」

2、コロナが後押ししたフェアトレード事業

3、ラスタマンの靴職人「マキ」という人

4、ジャマイカの人たちと共に育つ仕組みを目指して

1、キーパーソン「カブさん」

美術家、プランツマン、ハーバリストであるKazuuことカブさんと、青年海外協力隊時代の配属先ワーカーたち。

マキさんとは、筆者が2019年に青年海外協力隊員としてジャマイカで活動していた時期に、同じくジャマイカで活動していた元・青年海外協力隊員の「カブさん」を通じて知り合いました。

植物を扱うアーティストであるカブさんは、現役隊員当時「花き栽培隊員」として、首都キングストン市内にある知的障がい児などが通うスペシャルスクール(日本で言う特別支援学校)のガーデン/グリーンハウスで活動されていました。

炎天下で根を詰めて働き、熱中症になるほど仕事熱心なカブさん。それまであまり手入れが行き届いていなかった学校の畑が、カブさんの働きによって素晴らしい菜園、またハーブガーデンへと変化を遂げ、その完成度の高さに誰もが驚き、感動しました。彼女の存在が受け入れ先の学校から感謝され、重宝されていたことは言うまでもありません。カブさんが去った今も、学校のワーカーによってそれらの菜園が世話されているということです。

出典:カブさんInstagram @poppysnoopy

青年海外協力隊としての活動が終了する間際の2020年3月末、筆者と共に日本へ緊急帰国を余儀なくされたカブさんでしたが、昨年冬にご自分の意志でジャマイカに戻られ、2021年4月現在もジャマイカのローカルハーブについて研究されています。

Love Drumz Sandalzのマキさんと親しいカブさんは、仕入れにあたっての交渉・調整、プロダクト開発等でご協力頂いていて大変心強い存在です!とってもユニークな活動をされているカブさんについては当ホームページの「メンバー紹介」でもご紹介しており、彼女に行ったインタビューについても「ジャジャマガジン」で近日公開予定となっていますので、そちらもお楽しみに!

カブさんと、レゲエ界の伝説的ギタリストChina Smith率いるBinghistra Movement

2、コロナが後押ししたフェアトレード事業

Mackie(マキ)ことMilton Bonnerさん。ダウンタウンに構えるワークショップにて。

ジャマイカでも日本同様、コロナウイルスの影響による経済的ダメージは凄まじいものです。筆者が帰国してすぐ、ジャマイカの友人が次々と職を失いました。ジャマイカには休業補償や失業保険、生活保護といった社会保障がほとんどありません。日本では一人10万円の給付金がありましたが、ジャマイカ政府から出された給付金は10,000ジャマイカドル、つまり7千円ほどでした。あっという間に予算に達して打ち切りとなり、筆者の周りでその給付金を手にした人は一人もいません。

もともと貯金が無いうえ、突然収入が途絶えてしまった友人たち。いたたまれずに、ごく一部の人に少額の寄付を送ったりもしましたが、いつまでも続けられることではありません。うーん、と悩んだ末「困った友達を全員助けることはできないけれど、ものづくりをしている友達から商品を買って売ることはできる!」という発想が生まれ、それがCHAKA CHAKAとして初めて取り組んだフェアトレードプロジェクトとなりました。

マキさんのサンダルと同時期に仕入れたピアス Aisha’s Inspirations[RASTA LOVE]

まず、ジュエリーデザイナーの友人からハンドメイドジュエリーを、土産物屋を営む友人からジャマイカンアクセサリーを仕入れることを決めました。二人とも観光業に携わっていましたが、観光客が来なくなって困窮していたので、小さな取引にも関わらず「心から感謝するわ。God bless you!あなたに神のご加護がありますように」と大変喜んでくれました。

さらには、カブさんのご紹介でマキさんのサンダルの取り扱いが決まり、CHAKA CHAKAオンラインストアでメイド・イン・ジャマイカ商品を販売することになったのでした。

現在もそうですが、コロナの影響で船便が使えないため、高額の航空便を利用する他なく、どうしても仕入れ原価が上がります。当時、商品によっては仕入れ値と売値がほぼ同じ(!)という、ビジネスとしては全く成り立っていない状況でしたが、それでも「ジャマイカで困っている仲間を応援したい」という思いと「コロナ渦の今こそ始めなくてはいけない」という直感から、取引を決行したのでした。

オンラインストアで地道に販売した他、レゲエのリンク(つながり)を活かした野外イベントでの出店販売も行いました。SNSを通してCHAKA CHAKAを知り商品を買ってくれた方、出店を快く承諾してくれたイベンターや店主、出店ブースに来てお買い物してくれた方、協力してくれた先輩や友人など、たくさんの方がCHAKA CHAKAをサポートして下さいました。

そのお気持ちに深く感謝すると共に、これからはよりサステナブルな事業の在り方を模索しなくてはいけないと強く感じているところです。

野外レゲエイベントYARD MAN CAMP FESTIVALに出店!マスク着用のディスタンス野外イベントは大盛況だった。2020年10月、兵庫県三田市にて

3、ラスタマンの靴職人「マキ」という人

Love Drumz Sandalzオーナー、デザイナー、職人のMilton Bonner通称「マキ」氏

マキさんが靴づくりを始めたのは2010年のことだそうです。当時市民学習室のような所でジャンベを教えていたマキさんが、友人から靴づくりを薦められたのがきっかけだったと、インタビューで話してくれました。独学から始めて、さらなる技術獲得のため職業訓練校に通うなど、切磋琢磨し自らのスキルアップに努めるマキさん。現在は首都キングストンのダウンタウンにワークショップを構え、靴の修理からオーダーメードまで、全て一人で、手作業で行ってます。

マキさんのワークショップの天井はラスタのシンボル「ダビデの星」とも呼ばれる六芒星。

マキさんのワークショップには、お客さんもそうでない人も含め、沢山の訪問客があります。筆者の取材中も、マキさんの友人やお客さんの訪問や、近所の冷やかしもあり、とても賑やかでした。なぜか分からないけどいつもいる少年の存在が「いかにもジャマイカ」な雰囲気のワークショップで、マキさんはマイペースに作業をこなしていました。

マキさんの手

マキさんのこよって長く伸ばしている髪の毛は「ドレッドロックス」と呼ばれるヘアスタイルです。レゲエの神様と崇められるボブマーリーの髪型と言ったらお分かり頂けるでしょうか。このドレッドロックスは、ジャマイカ発祥の「ラスタファリズム」通称「ラスタ」という、宗教のような「生き方」から成るものです。

宗派や個人の信条によってライフスタイルも様々ですが、広く見られる特徴としては、菜食主義で肉を食べず、西洋的な薬ではなくハーブ等の自然薬を使うなど、できるだけナチュラルな生活様式を貫きます。自然を愛し、不自然を否定し、大量消費社会に抗い、愛と平等を訴えるその強烈なスピリットは、レゲエミュージックとなって世界中に届けられ、賛同されています。

マキさんのドレッドロックスはとても長いので、作業する時はまとめている

マキさんがジャンベを教えていることについて前述しましたが、マキさんはジャマイカの伝統的な音楽を奏でるミュージシャンでもあります。マキさんはKingston Drummersというグループのリーダーで、これまで地元でも海外でもたくさんのパフォーマンスを行ってきたそうです。ガーナ、ベネズエラ、ケイマン諸島への遠征の他、2003年と2004年にはジャマイカ政府の文化所長と共にイギリスに渡り、ジャマイカの文化やドラムについて教えたと誇らしげに話してくれました。マキさんの演奏動画も公開を予定していますので、そちらも楽しみにお待ちください!

インタビュー後にジャンベを演奏してくれたマキさんとカブさん。

4、ジャマイカの人たちと共に育つ仕組みを目指して

JAMALOHA撮影風景。マキさんとカブさんもモデルになってくれました!

日本人が大好きというマキさんは、「カワイイ」「アリガト」など、日本語を少し話します。日本のみなさんに自分の製品を使ってもらえることが嬉しいと、先日のインタビューでも話してくれました。インタビュー中に、コロナが仕事に影響しているか伺うと「逆に仕事が増えてるくらいだよ!」と答えられていたマキさん。その点について、マキさんの友人であり彼のサポーターでもあるカブさんにお話を伺うと「実際は資金繰りに苦労することもあって、ビジネスが安定するまでにはまだいくつかの課題があると思う」と仰っていました。傍で見守るからこそ分かる苦労が、そこにあるのだと思います。

今年新たに仕入れたジャマイカサンダル

生まれたてのNPO法人LINK UP JAJAも「持続可能なあり方をいかに構築するか」という課題に向き合っています。ジャマイカの人たちから学び、ジャマイカの人たちと共に育ち、お互い刺激し合えるような関係を目指す「ジャジャ」の挑戦は、始まったばかりです!

左からお友達のタンカ君、カブさん、マキさん、筆者。

過酷な幼少時代を乗り越えたジャマイカ人テーラー「ユリ」との繋がり

ユリさんとの出会いはおよそ5年前。人との出会いが何重にも重なって生まれた、NPO法人LINK UP JAJAとユリさんとのめぐり逢い。

ここからは、筆者とユリさんとの出会いや、過酷な幼少時代を生き抜き人生を切り開いたユリさんのヒストリー、NPO法人LINK UP JAJAの今後のビジョンなどについてご紹介したいと思います。(以下敬称略)

  <目次>

1、ユリとジャジャを巡り合わせた「リサ」という人

いつも写真を撮る側のリサ。iPadはアメリカに住む息子からの贈り物。

「リサ」と初めて出会った筆者は、当時18歳。高校卒業後ジャマイカに語学留学し、20歳直前まで過ごした筆者に、最終学期マンツーマンで教えてくれた英語の先生がリサでした。リサはアメリカ人ですが、イギリスとジャマイカのハーフである夫アンドリューと共にジャマイカに移住して、もう50年になります。

リサ、アンドリューのゴードン夫妻。とても70歳には見えない!

リサは英語の教師ですが、筆者が彼女から学んだのは語学だけではありません。彼女の授業では教材がそのまま使われる時間はごくわずかで、価値観人生観社会問題など、実に様々なことがトピックにされます。

「外国人としての自分がジャマイカとどう向き合うか」という課題について、筆者がリサから受けた影響は大きく、筆者は彼女を「ジャマイカの母」と呼んでいます。彼女もまた筆者を「娘」と呼び、血縁を超えた「家族」になっています。

2017年ゴードン夫妻宅にホームステイ中の筆者とリサ

実は、リサとアンドリューのゴードン夫妻は、2人の間に恵まれた3人の息子の他に、たくさんの養子を迎えています。養子は皆、彼らが暮らす地域出身の子供たちで、その一番初めの養子がユリなのです。

「子供たち」と言っても最後の養子は現在20代で、立派な青年になっています。村の人たちがゴードン夫妻に親しみ、尊敬の念を持って接している様子を見ると、半世紀前にジャマイカに移り住んだゴードン夫妻と地域との関わりの深さが見て取れるようです。

一番下の養子アントニーは現在自分の家を建設中。すごい!

ゴードン夫妻宅から徒歩10分くらいのところに家を構えるユリは、今でも彼らを頻繁に訪れます。

筆者がゴードン夫妻宅にホームステイした2017年に、筆者とユリは初めて出会いました。私たちはすぐに打ち解け、彼の自宅に下宿させてもらうことが決まり、4か月間ユリの家族「ピント(Pinto)一家」と共に過ごしました。

それ以来、筆者とピント一家はファミリーになったのです。つまり、ゴードン一家(リサ)、ピント一家(ユリ)、日本からやって来た筆者は、ひとつの大きな家族One Big Fambily(ワンビッグファンビリ※)になったというわけです。

※Fambilyとはジャマイカの言葉でFamily:家族

2、ユリとゴードン夫妻との出会い

大自然に囲まれるゴードン夫妻の自宅

当時20代だったゴードン夫妻がいつもストリートで見かけていた当時9歳のユリが、あまり家庭環境に恵まれない子供であることは明らかでした。いつも家にやって来るユリをいつしか家族のように迎え、食事を与え、学校に通わせたゴードン夫妻。

夫のアンドリューが仕事で町に下りていく時、彼のトラックの荷台には地域の子供がいっぱい乗っていて、風物詩のようでもありました。現在アンドリューは勤めていた会社を引退し、農業を営んでいます。

父を知らない子供はジャマイカにたくさんいますが、ユリもその一人でした。3歳の頃母親を亡くしたユリに、実の両親の記憶はほとんどありません。多くの時間をストリートで過ごしていたユリにとって、ゴードン夫妻は行き場のない自分を助けてくれた人生の恩人です。

彼はインタビューの中で「リサとアンドリューに、自分を拾い上げてくれてありがとうと言いたい」と深い感謝の念を述べています。「リサとアンドリューに学校に通わせてもらうようになって、文字の読み書きが出来るようになった。読み書きが出来るようになるというのは、人にとってこれほど喜ばしい達成はない。」と語るユリ。

学ぶことの尊さを、学びたくても学べなかった人が語ることで、その重みがひしと伝わってきます。

ゴードン夫妻の一番下の実の息子アリエルとアンドリュー。
アリエルは筆者と同い年で、お互いを兄妹と呼んでいる。

時としてジャマイカでは、地域の人たちと人間関係を築く過程で、貧困をはじめとする様々な社会問題に向き合わざるをえない状況があります。どうアクションするかは自分の価値観やポリシーに従う他ありません。

幼いユリも私と同じように、ゴードン夫妻の価値観や生き方に多大な影響を受けたのではないでしょうか。「家庭環境に恵まれなかった自分がどうやって生き抜いていくか」という課題に対して、ユリが導き出した答えは「一刻も早く経済的に自立すること」でした。

彼がインタビューで語ってくれた「16歳の時アンドリューに買い与えられた自転車を売り、そのお金でミシンを買ってテーラーになると決断し、実際に起業した」というエピソードが、そのことを証明しているような気がします。

リサ宅に集まり、家族みんなで夕食を食べた日。ユリはリサが作るご飯が大好き!

3、ユリの家族を通して考えさせられる「しあわせ」とは

おしどり夫婦のピント夫妻

ユリはインタビューの中で「私の妻ほど素晴らしい女性を、他に見つけることはできないだろう」と語っています。ユリの妻クリスティーンは、敬虔なクリスチャンで慈悲深い人であるばかりではなく、強い精神力の持ち主です。

彼女がこれまで並々ならぬ実行力で一家を支えてきたことについて、ユリはインタビュー中に「彼女は、なんでそんなことが出来るのか分からないけれどそれをやってのける、すごい人なんだ」と語っています。まさに縁の下の力持ちで、ユリもその働きを「一家の大黒柱」として賞賛しています。

現在ユリは妻、娘、孫2人の5人で暮らしています。ブルーマウンテンに位置するメリーランドの豊かな土地で、野菜や果物を育てながら、テーラーの仕事や運送業、小売業など、やれることは何でもやって家計を支えています。シングルマザーの娘の幼い息子たちが立てる騒音に悩まされながらも、おじいちゃんのユリはとっても幸せそうに見えます。

筆者が「甥っ子」と呼ぶユリの孫たち

物価に比べて賃金が低いジャマイカで、時に資金繰りに苦労しながらも、目の前の食事に、眠るベッドに、命あることに感謝するジャマイカの人たちを見ていると「しあわせって何だろう?」という根本的な問いが湧いてきます。

特にこのコロナ渦で日本の自殺者が増えているというニュースを観ると、ジャマイカよりもはるかに社会保障が充実しているはずの日本で、どうしてたくさんの人が自ら命を絶ってしまうのか、日本の「生きづらさ」について考えずにはいられません。

一方で、格差社会のジャマイカでは「お金があるということは、選択肢があるということ」と実感する場面が多くあります。また、貧困が教育機会を奪い、教育機会を奪われた人が貧困に陥り、犯罪率の高さに繋がる悪循環は、ここジャマイカでも深刻な問題となって長年居座っています。

この点について、ユリもインタビュー中に「ジャマイカは産業の発展にもっと力を入れるべきだ」と大変熱く語っておられます。

インタビューはユリの自宅の庭で行われた

4、ジャマイカの人たちとつながってサステナブルな取り組みを

出典:国連広報センター
言うが易し。自分が取り組めることは何だろう・・・

2015年9月の国連サミットで採択された、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標SDGsは 「Sustainable Development Goals」の略称ですが、ここでもやはり「持続可能な開発目標」ということが掲げられています。

先進国が一方的に開発途上国を「支援」しても、被支援国が発展を遂げられなかった苦い経験から、この「持続可能(サステナブル)」という概念が生まれました。お金がある国や組織が、ない国や組織に一方的に与えるだけでは、支援される側に依存体制が出来てしまいます。支援者が去った後、被支援者が独り立ちできる仕組みを目指すべきで、それが「持続可能」な支援のあり方です。

日本のテレビで、ある女優さんがアフリカの水が無い地域に飲み水製造機を届けに行くという番組を観たことがあります。あのプラスチック製飲み水製造機は果たして住民に維持・管理が出来るのか、修理に必要な材料は現地調達可能なのか、その部分について語られることはありませんでした。

NPO法人LINK UP JAJAのモットーは「サステナブルな取り組み」です。ジャマイカの人たちと繋がり、共に育ち、双方にメリットが生まれる仕組みを模索し、また日本の皆さんに「自分も仲間に加わりたい!」と思って頂けるムーブメントを巻き起こすため、活動を広げ、深めていきたいと考えています。NPOの正会員、賛助会員も大募集しております!

ホームページ等を通してお気軽にお問い合わせください。

日本初上陸!ジャマイカ人女性が『可愛すぎる!』と絶賛のハンドメイドバッグ

そのバッグのあまりの可愛さに、ジャマイカ人女性たちが“Too Cute(トゥーキュート)!”と言ったことからブランド名が付けられた2 qute collection(トゥーキュートコレクション)。本当にどれも可愛らしくて、見ているだけでワクワクするメイド・イン・ジャマイカのバッグを、今年CHAKA CHAKAオンラインストアで販売することになりました

もちろん、日本初上陸です!ここでは、ブランドオーナーさんとの出会いや、今回取り扱う製品についてご紹介します。

2 qute collectionのブランドオーナーであり、デザイナー、職人でもあるAndrea Sinclair(アンドレア・シンクレア)さん。とっても美人な彼女もToo Cute!

カバン作家のアンドレアさんとは、Conu’co Market (コヌコ・マーケット)というメイド・イン・ジャマイカ商品のみ出店が許される、ローカルにも人気のバザールで出会いました。コロナ以前の、2019年のことです。

年に数回開催されるConu‘co Market。コロナの影響でしばらく開催できていないのが寂しい。
出典:Instagram @conucomarket

Conu‘co Marketには質の良いジャマイカ産商品を求めて多くの人が訪れる。入場無料なのが嬉しい。
出典:Instagram @conucomarket

会場であるGrizzlys Plantation Coveはコヌコ・マーケットの他、ジャマイカ三大フェスのひとつであるRebel Salute(レベルサルート)というレゲエコンサートが開かれることでも有名です。毎年1月に開催されるRebel Saluteを観て「また今年も始まったな」と1年の始まりを実感するのですが、残念ながら2021年はコロナウイルスの影響でオンライン開催となりました。

レゲエトップアーティストの数々を拝めるRebel Saluteには、世界中からレゲエファンが押し寄せる。レゲエがジャマイカにもたらす経済効果は大きく、ジャマイカ政府がレゲエイベント等のプロモーションに関わるのは珍しくない。
出典:rove.me

100を超えるブースが並ぶConu‘co Marketは、食品、ファッション、コスメなど、そのほとんどがハンドメイドで、オーガニック製品もたくさん見られます。出店者の大半がジャマイカ人の小規模企業家で、各々のスキルを活かした製品をずらりと並べて販売しています。

ちょっと高いけど珍しくて美味しい食べ物や飲み物を楽しめるConu‘co Market。飲食しながらショッピング出来て楽しい!
出典:Instagram @conucomarket

この日、アフリカンファッションブランドを持つ筆者の友人も出店しており、通りすがる入場者に「ハロー、こんにちは!どうぞ見て言ってね」と声をかけ、商売に精を出していました。

友人のアフリカンブランドAMA Bでお買い物する私がカメラマンにパシャリされて、インスタグラムに載っていた。
出典:Instagram @conucomarket

Conu‘co Marketの広い会場をぐるり一周すると、可愛らしいバッグがたくさん並んでいた2 qute collectionのブースに目が留まりました。

女子のツボ突きまくり♡ 2 qute collectionsのブース。
出典:Instagram @2qutecollection

「すごく素敵ですね!このバッグ!!」と思わず声をかけていた筆者。蝶ネクタイが付いたクラッチバッグに心奪われたその時の私の写真がこちら。

手持ちがなくその場では購入できなかった蝶ネクタイのクラッチバッグ。

写真で筆者が履いているアフリカンのロングスカートは、友人のブランドAMA Bにオーダーメイドして作ってもらったもの。ジャマイカには素敵なメイド・イン・ジャマイカ製品がたくさんあるんです!

多くの女性が足を止めるアンドレアさんのブース。女性用バッグをメインに作っているが、メンズもオーダーできる。
出典:Instagram @2qutecollection

アンドレアさんとその場では連絡先を交換しなかったのですが、今年CHAKA CHAKAでメイド・イン・ジャマイカ製品を買い付けることに決めてから「あの人のカバン、もう一度見たいな」と彼女のことを思い出しました。というのも、アンドレアさんの製品を見た時、デザインが素敵で目に留まったのはもちろんですが、彼女のブースを見た時に「この人の製品は他と比べてかなり質が良いな」という印象を受けたのをはっきりと覚えていたからです。

クラッチバッグ ジャマイカカラー

ジャマイカにはたくさんの才能あふれる作家さんがおられますが、高品質に慣れている日本人から見ると「うーん、この縫い目ちょっと雑だな」とか、「この仕上げもうちょっと丁寧にしてくれたらいいのにな」と感じることもあります。それとは対照的に、アンドレアさんの製品はとにかく仕上がりが美しい。素人のこちらがあれこれ言わなくても「仕上がっている」のです!!

ジャマイカカラーのウエストバッグを持つアンドレアさん。ストラップを調整するとショルダーバッグやハンドバッグとしても使える。

インスタグラムを通してコンタクトを取り、彼女の製品を日本で販売したい旨を伝えると「もちろんオッケーよ!」と快諾してくれたアンドレアさん。コロナの影響で出店機会が減り在庫をあまり持っていないということでしたが、CHAKA CHAKAのために製品を作ってくれることになりました。おおよその注文内容をこちらで決めて、指し色や裏地などの細かい部分は彼女から「こういうのはどうかな」とアドバイスをもらいながら、オーダーリスト作りを進めました。

Tillyクラッチバッグ レッド

アフリカンテイストでありながらラスタカラーのような生地を裏地に使うところがさすが。Tillyクラッチバッグ レッド

安定した品質であることはもちろん、どの製品を手に取ってもアンドレアさんのセンスが光っています。また、ほんの少しの情報から日本人の好みを掴み取ってくれた彼女の勘の良さに「これぞプロフェッショナル」と筆者も脱帽しているところです。

ウエストバッグ ラスタカラー

日本の皆さんのハートをガッチリ掴むに違いないキュートなバッグが出来たことは写真を見て頂いた通りですが、2 qute collectionのバッグは使いやすさにもこだわっています。見た目のコンパクトさの割には容量が大きくて、スマホや小物が楽々入ります。内ポケットなどの機能も嬉しいですね。

Tillyクラッチバッグ ベージュの裏地はジャマイカカラーになっており、内ポケットも付いている。
スマホ、二つ折り財布、鍵くらいは十分入る大きさ。

クラッチバッグ ラスタカラーはCHAKA CHAKAのためにデザインしてくれた。Too Cute!

今回は女子向け製品だけではなくメンズも使えるユニセックスのショルダーバッグも仕入れていますので、男性の方もぜひCHAKA CHAKAオンラインストアを覗いてみて下さい。レゲエファンやジャマイカファンにはたまらないデザインになっています。

2 qute collectionの全ラインナップは、CHAKA CHAKAオンラインストアで見ることができます。

ショルダーバッグ カモフラージュ×ラスタカラー

アンドレアさんにも、他の職人さん同様、カバンづくりを始めた経緯や仕事に対する思いを語って頂きました。インタビュー動画も準備中ですので、そちらもお楽しみに!

アンドレアさんのご自宅に伺ってインタビューさせてもらいました。動画も近日公開!

夏にピッタリのスイカバッグ。CHAKA CHAKAオンラインストアで取り扱い中。

ジャマイカの酒ウンチク🍻

ジャマイカでも日本同様、お酒を飲みます。(筆者の周りの)日本人ほど“しこたま”飲みませんが、誕生日会やパーティーの際にはアルコールが振舞われます。

  <目次>

1、日本でも飲める!ジャマイカ産ビール

2、ソレルはクリスマスの必需品

3、ぜいたくワイン

4、超個性派マグナム

5、ジャマイカ定番!ラム酒

6、泥酔禁止。安心安全お酒の飲み方

1、日本でも飲める!ジャマイカ産ビール

出典:Red Stripe Twitter @RedStripe

現地で日常的に飲まれるのが、あっさりして飲みやすいジャマイカ産のビールRed Stripe(レッド・ストライプ)。決して物価が安くないジャマイカで、日本に比べて安いと思える数少ないアイテムです。1本330mlが税込み130円くらい※で、空き瓶を返したら十数円バックがあります。最近は缶も出ていて、軽いので助かります。

※ジャマイカドルの下落が続いているため日本円に換算すると以前よりも安くなった。

Red Stripeビールは、日本のレゲエバーやジャマイカ料理レストランに必ずと言っていいほど置いています。1本700円くらいが相場でしょうか。

出典:Red Stripe Website

ジャマイカに来てお酒を買う時、「Hot or Cold(ホットかコールド、どちらにしますか)?」と聞かれることがあり、「え、ホットビールってどういうこと?!」と初めは驚きました。今でこそ冷蔵庫の普及が当たり前になりましたが、ジャマイカでは今でも「冷たいものは飲まない」という人が多くいます。だからビールも常温で飲むのです。バーでは必ず、常温をホット、冷蔵をコールドとして区別して売っています。日本人の筆者にはぬるいビールのうまさはいまだに分かりませんが、特に中年男性が「ホットビールおくれ。」と言っているのをよく聞きます。

出典:Red Stripe Website

日本で見たことがないけど「あるといいな」と思うのが、Red Stripeのソレル味。ほんのり甘くてソレルの良い香り!日本人にもウケそうな味なのですが・・・

出典:Loshusan Supermarket

2、ソレルはクリスマスの必需品

前項でご紹介したRed Stripeのソレル味。日本で聞き慣れない「ソレル」は、ハイビスカス科の赤い花です。甘酸っぱくて、ソレルの実をかじると幼少期につつじの花の蜜を吸っていた時のことを思い出しました。

出典:Loop Jamaica

ジャマイカでクリスマスに必ず飲むのが、花の名前そのまま「ソレル」と呼ぶ、ソレルを煮出した飲み物。火にかけた水にソレルをたっぷり投入し、生姜と砂糖、数種類のスパイスを加えて煮出します。

乾燥したソレルも売っている。生のソレルはクリスマスシーズン以外ほとんど見かけない。
出典 myforkinglife.com

その真っ赤なゆで汁にさらにホワイトラムを加えることで、長期保存がきく飲み物になるそうです。トロっとして甘いですが、生姜やスパイスもしっかりと効いていて、とても美味しいです。

ソレルをスパイスと一緒に煮出しているところ
出典 myforkinglife.com
出典 myforkinglife.com

3、ぜいたくワイン

出典:Jamaican Treasures

近年ジャマイカの女性に大人気のワイン。ワインを飲む文化がジャマイカに定着してきたのはここ数年のことです。関税や輸入ルートの関係だと思われますが、ジャマイカではワインは高級品です。日本の「チープワイン」の感覚で同じワインを買っても、ほんのちょっと良いワインが買えるくらいの値段になります(つまり2000円くらい)。日本では貿易協定でワインの値段がすごく下がりましたよね。

アップタウンにある人気店 Uncorked
出典 Instagram @uncorkedja

例えば、ジャマイカでよく見るYellow Tailのベーシックなワインは、日本で1000円くらいですが、ジャマイカでは税込み2000ジャマイカドルくらいになります。日本円に換算すると1400円くらいでそんなに高く感じないかもしれませんが、最低賃金が週に9000ジャマイカドルであることを踏まえると、多くの庶民にとって2000ドルのワインは「ぜいたく品」でしょう。

出典 Loshusan Supermarket

「最近はどこに食事に行ってもジャマイカ人女性がワインを飲んでいるのを見るよね。」と話していたのは、写真に写っている筆者の友人のジャマイカ人女性です。少し前までジャマイカでワインなんて飲むのは外国人かよっぽどオハイソな方々でしたが、近年は一般のジャマイカ人にも親しまれるようになりました。そのおかげで種類も増えてきているようで、産地としてはアメリカ、スペイン、フランス、アルゼンチン、チリのワインをよく見ます。

しかし残念ながら、ジャマイカのワイン文化はまだまだこれからのようで、ワインに全く詳しくない筆者でも「うむ、これはひどい。」という代物が出てきたりします。今後の発展に期待!

友人の誕生日祝いに近くのレストランへ。筆者の右手にもYellow Tailワイン。
これが一番安かった。1杯600ジャマイカドル(420円くらい)

4、超個性派マグナム

Magnum大使のダンスホールアーティストSpiceとダンサーでもあるDing Dong
出典:Caribbean Life News

ジャマイカならではのお酒、アルコールでありながら精力剤としても人気なのが「Magnum(マグナム)」。「マグナム・トニックワイン」という商品名で売られていますが、ブドウなどを原料とする一般的なワインとは中身が全く異なります。ハーブ、ミード(蜂蜜酒)、トニック(強壮剤)の混合物で、100パーセント天然成分を売りにしています。強壮剤や体に良いとされるナチュラルハーブが入っているので「精力剤」と呼ばれるのでしょう。

アルコール度は16.5%で、味はちょっと薬みたいな味(チェリーフレーバー)。蜂蜜酒のせいか、シロップのように甘くて筆者は苦手です・・・。男性に限らず女性も飲むので、コロナ以前はパーティーでマグナムを大人買いしてテーブルにたくさん並べている風景もよく見られました。

出典 Magnum Instagram @magnumtonicwine

マグナムは「ダンスホール」と呼ばれる、ジャマイカの若者に人気な音楽分野と様々な場面でタイアップしています。マグナム企画の「Magnum Kings and Queens」というスター発掘イベントで、日本人レゲエアーティストのRankin Pumpkin(ランキン・パンプキン)が準決勝まで上り詰め、社会現象を巻き起こしたのは2017年のことです。当時のジャマイカでは、道を歩けば「ランキンパンプキン知ってるか?」と話しかけられました。今でもたまにあるので、すごい影響だなと感心します。

出典:Loop Jamaica
ランキンパンプキンについてはまた詳しく書きます!!

マグナムはダンスホールアーティストを大使に迎えてプロモーションをするなど、音楽と切っても切れない関係です。コロナウイルスの影響でほとんど全ての音楽イベントが中止になりましたが、本来ジャマイカではマグナムに限らず、様々なアルコールメーカーがイベントや大規模なコンサートを開催しています。

5、ジャマイカ定番!ラム酒

ジャマイカ・ラム・フェスティバル
出典:Loop Jamaica

そして、ジャマイカと言ったらラム酒!ジャマイカでたくさん採れるさとうきびを原料としたラム酒は、ジャマイカのお酒として一番メジャーです。男性に人気のホワイトラムは味が強いので、水割りというよりは甘いジュースで割って飲む人が多いです。ジャマイカのホワイトラムと言えば、何と言っても「Wray and Nephew」!色々種類がありますが、この「レイ&ネビュー」というブランドのホワイトラムが大人気です。

出典 Loshusan Supermarket

筆者個人的には無色透明のホワイトラムよりも、茶色のダークラムが好きです。二者の違いは、その製造法にあります。「ホワイトラム」は内側を焼いていない樽で貯蔵するため、さとうきびや糖蜜といった素材の味が、自然なまま味わうことができるタイプのラムです。対照的に「ダークラム」は、蒸溜した原酒を、内面を焦がした樽で3年以上貯蔵するため、樽からの独特な香味成分が出て濃褐色になるのが特徴です。

出典 Myers Rum Website

ジャマイカ産ダークラムはたくさん種類がありますが、特に有名なのが「Myers(マイヤーズ)」です。日本のレゲエバーでも必ず置いているこのマイヤーズ、残念ながら、日本での終売が決まりました。新型コロナウイルスの影響により、輸入していたキリンビール株式会社が、ブランドオーナーから安定した製品供給を受けることが困難になったそうです。マイヤーズラムをコーラやソーダで割ったラムコーク、美味しいんですが・・・泣。

出典 Myers Rum Website

マイヤーズラムと並んで人気なジャマイカ産ダークラムの「Appleton(アップルトン)」。最近ラベルがスタイリッシュなデザインに変わりました。レギュラーも美味しいですが、黒いラベルの12年物はまろやかでほんのり甘く、とても美味しいです。日本のバーなどでも見かけます。

出典 Appleton Website

現在はコロナのせいでジャマイカでも外出禁止令なども発令されていて、なかなか遠出しづらいのですが、いつか行ってみたいのがAppletonのラム工場見学ツアー。入場料を払って工場内を見学する際、年代物のラムをテイスティングできるそうです。St. Elizabeth(セント・エリザベス)という県にあり、コロナ以前は観光客にも人気のスポットでした。

出典 visitjamaica.com

6、泥酔禁止。安心安全お酒の飲み方

出典:visitjamaica

ジャマイカで、泥酔はドン引きされます。良い意味でも悪い意味でもカッコつけのジャマイカでは、ベロベロに酔うのは格好悪いことです。また、健康的な生活を送るジャマイカ人は二日酔いをすごく嫌うので、お酒を飲みながら水を飲むという作業をかなり真面目に行う人が多いです。さらには、安全確保の意味でも泥酔できません。酔っぱらって電車のシートで爆睡しているサラリーマンは日本の風物詩ですが、治安がいいから成せる技です。むしろ、そんなことできない国がほとんどですよね。日本ってすごい!

出典 Travelling Lamas
St. Elizabethにある人気スポット、ペリカンバー。

ジャマイカの酒うんちく、いかがでしたか?これを機に、日本でも手に入るジャマイカのビールやラム酒を試してもらえると嬉しいです!